El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

DIE WITH ZERO ゼロで死ぬ。

死ぬ前に資産が尽きないようにしながら生きているうちに使い切るメソッド

若者には資産状況に関わらず参考になるだろう。しかし中年以降ではある程度の成功者であることが前提なので、超富裕層(金融資産5億以上)富裕層(1億以上)準富裕層(5千万以上)アッパーマス層(3千万以上)という資産上位25%が対象なんだろうとは思います。

それと日本人の寿命・健康寿命から考えるとこの本よりも10年だけ高齢者側にシフトさせて55歳から65歳あたりから、余命を意識して金をつかい、死んだときに無駄に残さないようにする意識を持つことが必要。

中高年にとっての具体的メソッドは、

  1. 60歳前後の時期に85歳なり90歳という死亡時期を設定する。
  2. 死亡時点で残すべき金額(=配偶者がその後要する費用)を設定する。
  3. さらに死亡前後の年金などの収入を加味して、死亡時点でどのくらい余剰がでるのかを算出。
  4. 余剰分を子供に早めに譲渡したり自分のために消費したりしてゼロにしていく。

というスキーム。ぼんやりとは意識していても、ついつい倹約に走るのが日本の小金持ちなので、そういう意識づけという意味では読んだ甲斐はあった。

しかし、著者が書いているように66歳になってみると使いみちが見つからないのも事実(一般論であり、決してわが家にそれが有り余っているというわけではありません!)。さらにサラリーマンにとっては、日本的な雇用慣行では退職金や企業年金など具体的な資産が見えてくるのが60歳とか65歳とかなので、計算ができるころにはもう使いみちが限られてしまうという現状がある。まあ、定年の段階で年金額も決まって余剰金が計算されてから・・・と、そうなっちゃうのは仕方ない面もある。

そもそも、日本的な清貧の思想というか、老荘思想というか、わきまえた消費で十分楽しいような精神構造にいつのまにかなっているわけで、この本に影響されても浪費に走るのではなく、まあ自分の中にある貧乏くさいケチケチ精神を少しずつ失くしていこうー程度のシフトチェンジをするのが妥当な線でしょうか。

決め言葉は・・「ま、金ならあるし」®岡田斗司夫