El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

窯変源氏物語 (4)

⑪花散里・⑫須磨・⑬明石・⑭澪標

⑪花散里(はなちるさと)・・10ページの短いエピソード。都から須磨への場面転換のためか?なにかの伏線か?

⑫須磨(すま)・・桐壺院が死んで世は朱雀帝の母親・弘徽殿の女御とその父・右大臣の世に。そんなことも無視して右大臣の娘・朧月夜のところに忍んでいるところをモロに右大臣に見つかった源氏。それをきっかけに源氏嫌いの弘徽殿・右大臣の追い落としが始まり源氏は無位無官にはく奪された上にさらに流罪に・・・。それを察した源氏は自ら都を退き須磨へ。須磨に行っても都の女性たちと文のやりとりを続けるのは、まあ筆まめというか、執着というか・・・。

源氏の須磨への都落ちについては過剰反応?という気もしたが、史実としては光源氏と同じく帝の子である源高明が大宰府に流された例(安和の変)があり、宮廷内の権力闘争のグレーな部分がよく描かれている(というか紫式部の頃は常識だったのか)・・・このあたりは山本淳子「平安人の心で『源氏物語』を読む」が参考になる。

⑬明石(あかし)・・光源氏が都落ちして須磨・明石にいたのは2年半。その後半で明石の入道の娘(明石の君)と関係を結び妊娠させている。難事を避けて場所を移動することの効果について考える。とりあえず姿をくらますことの意義は確かにある。その間に状況が変化していくし、移動先でまたあらたな楽しみを見つけることもできる。まあ、移動できるだけのパワー(経済力や権力)も必要だが「あえて火中の栗を拾わない」という大人の態度も必要。引くときには引いておけばそのうち風向きも変わる。

⑭澪標(みおつくし)・・身を尽くし。2年半の明石滞在の間に、都では右大臣が病死。朱雀帝とその母(弘徽殿の女御)も病に。朱雀帝は光源氏に対するしうちのたたりを感じで光源氏を帰還させる。その後、朱雀帝は冷泉帝(実は源氏の子)に譲位し源氏は内大臣になり旧右大臣系から旧左大臣系への権力移行がすすむ。

明石の君は女児を出産。源氏には、冷泉帝、故葵上の産んだ男子(夕霧)、そして明石の娘の3人の子がいることになる。頭の中将は宰相の中将から権大納言と出世し、冷泉帝の妻の座を巡って新しい権力闘争の始まり。