El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

続・私の本棚 (10)ジェネリックの理想と現実

還暦過ぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのセカンドシーズン「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学」です。

第10回のテーマは「ジェネリック医薬品」。一般書3冊を通して、産業としての製薬業の歴史とそこからジェネリック医薬品が生まれてきた歴史、先発薬メーカーとジェネリック薬メーカーの戦略と攻防、21世紀になって台頭してきたインド産ジェネリック医薬品の裏側を読み解いてみたいと思います。(ちなみにファースト・シーズン「私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」はこちら

ジェネリック薬はどのように広まったか
その登場と企業の争い

最初にとりあげるのは『ジェネリック―それは新薬と同じなのか』。この一冊で、ジェネリック薬の歴史だけでなく、近代製薬の歴史までもが見えてきます。

工業的に合成された薬剤が治療薬として使われる――いわゆる産業としての製薬業が始まったのは、20世紀になってからです。そうした薬剤に最初から命名ルールがあるわけもなく、例えば、バイエル社の解熱鎮痛剤のアセチルサリチル酸(一般名)はバイエルアスピリンという商標名で呼ばれ、いつのまにかアスピリンが一般名になる…というような時代でした。もちろん、化合物としての特許制度は当時からありました。

1960年代に入るとそうした薬剤の特許が切れる時代が到来します。すると、化合物としての一般名は同じでも商標名が異なる、「ジェネリック医薬品」が登場しました。ジェネリックとは、「一般的な」という意味です。

ジェネリック医薬品の登場は、それらと先発薬との同等性について議論を呼びました。先発薬企業は、当然、同等性のなさを証明しようとし、ジェネリック薬企業は同等性を証明しようとしました。こうして、双方がさまざまな政治的活動を繰り広げる時代が続きました。

 時代はジェネリック薬を求めていた

大きな節目になったのは、レーガノミクスの時代、1984年の「ハッチ・ワクスマン法」(薬価競争及び特許期間回復法)です。

これは、ジェネリック薬企業に簡略申請でジェネリック医薬品の市場を拡大する道をひらくと同時に、先発薬企業には特許期間延長(20年+最長5年の延長)によって新薬市場を保護することで、先発品企業と後発品企業それぞれに利益を与えてバランスを取り、全体として米国の医薬品産業の発展を促進しようとするものでした。

このハッチ・ワクスマン法により、それまでジェネリック医薬品の承認に必須要件であった治験データが不要となり、ジェネリックメーカーは莫大な治験経費を投ずることなくジェネリック薬を安価で市場に送りだせるようになりました。

先発薬企業の新薬開発意欲を維持しながら、ジェネリック薬企業の活動を促進し、トータルとして医療費における医薬品価格を抑えるためのバランスを決めたということです。このハッチ・ワクスマン法を基本とした方式が、日本を含めこの後の世界標準となっていきます。時代はジェネリック医薬品を求めていたのです。

先発製薬会社のジェネリック対抗策

2冊目の『ジェネリック VS. ブロックバスター』では、そうした先発薬企業とジェネリック薬企業の激しい競争が数字で描かれます。新薬の研究開始から製品として成功する確率は3万分の1、そこまでの期間は7~17年、開発コストは300~1000億円。1000億かけてハズレもあるわけですから、まさに創薬はハイリスク・ハイリターン。

しかし、当たればどうなるか…。2015年度の日本国内売上、上位4製品(ハーボニー、ソバルディ、プラビックス、ミカルディス)は、いずれも国内年間売上が1000億円以上、あるいはそれに迫る数字となっています。製造原価は価格の20%程度なので、1品目当たれば日本だけでも800億円の利益を生むんですね。このように当たった新薬のことを「ブロックバスター」と呼びます。

新薬の特許は20年(+最長5年)。そこを過ぎると、他の製薬会社がジェネリック薬を製造販売できます。

ジェネリック薬は、先発医薬品と同一の有効成分を同一量含有し、同一経路から投与する製剤で、効能・効果、用法・用量が原則的に同じであり、先発医薬品と同等の臨床効果・作用が得られる、という条件を満たすことで簡略な薬事承認を得られるため、開発期間は3~5年、開発コストは1億円程度で済むようです。薬価は先発医薬品の50%と定められています。

先発製薬会社も、効能を追加したり(用途特許)合剤化したり(配合剤特許)して特許期間を伸ばすことができますが、それでも+5年まで。

ただ、子会社形式で製造特許使用を許諾した、いわゆるオーソライズド・ジェネリック(AG)で対抗するなど、先発製薬会社もだまってはいません。その結果、オーソライズではないジェネリック薬はAGメーカーに押され、コストダウンしなければ儲からない構造になるという、まさにいたちごっことなっています。

インド産ジェネリック薬の深刻な問題

ここまでの2冊では、アメリカならアメリカ国内での、日本なら日本国内での法規制にのっとった企業の競争でした。ところが、グローバル経済でインドや中国がジェネリック薬市場に本格的に参入すると、予想もしない事態となりました。それを余すところなく描くのが、3冊目の『ジェネリック医薬品の不都合な真実』です。

インドのジェネリック製薬業の歴史、その発端から興隆の道程、そして世界がそれを受け入れざるを得なかった訳、その後の残念な腐敗の過程、さらに、それでも世界がインドのジェネリック医薬品を使い続けなければならない訳…。膨大な調査を通して、これら全てが500ページ超の中に盛り込まれています。

倫理観の異なる国で製造される薬

ジェネリック医薬品の存在意義は、特許が切れた先発薬と同等の効果や安全性を持つ薬を安価で提供することです。それは、政府の医薬品審査機関の厳格な管理・監督のもと、ジェネリック医薬品メーカーが高い倫理観をもって、「先発医薬品と変わらない薬効・安全性の薬を製造しているはずだ」という「信頼」を前提として作られた制度です。

つまり、ジェネリック医薬品は、そもそも先進国の企業倫理と法制度のもとで製造されることを想定した薬なのです。

しかし、グローバル経済の進展で、先進国とは異なる倫理観や社会制度をもつ国々が工業化し、世界の工場となっていきました。衣類や機械などを作っている間はそれでよかったとしても、「薬」を製造するとなるとどうでしょう。薬は外観で中身がわからないし、結果としての作用もすぐにはわからないものです。

そんな流れの中心にあるのがインド。インドにはガンディーの頃から独立の見返りとして、イギリスの依頼で第二次世界大戦中に戦士向けのキニーネなどを製造していたという歴史もあります。

世界が無視できなくなったインド製薬業界

20世紀後半、英語力と理系脳にすぐれる上層社会のインド人が続々と欧米の大学へ留学し、医学部や薬学部にもインド人が増えました。当然、欧米の製薬企業にもインド人がたくさん入ってきました。インドにもどった彼らは製薬会社を起業。彼らは、新薬開発はできませんが、既存薬を合成することには長けていました(いわゆるリバース・エンジニアリング)。

そして1970年、インディラ・ガンジーの時代に、「インド特許法」という独自の特許法ができました。「インド特許法」によって模倣薬を自由に作れることになったインド国内では、模倣薬が流通する時代が到来します。ただし、その時点ではインドは世界市場から締め出された状態でした。

インドの薬における大きな転機は、1980年代に起こったHIVの世界的流行です。欧米の製薬会社が超高価な価格で提供していた抗HIV薬を、インドは100分の1の価格で提供するという賭けに出ました。これが世界世論を動かし、インド製抗HIV薬が主にはアメリカの予算でアフリカ諸国に供給されることとなったのです。この出来事をきっかけに、インド製薬業界は世界的な薬品供給者として認められるようになりました。

そして21世紀、高騰する医療費に悩む先進諸国も、次第にインドの薬に門戸を開いていきます。もちろん、先進国並みの企業倫理と監督制度のもとで製造されることを前提に…。

「ジュガール」でつくられる薬とは

そこに立ちふさがったのは、「ジュガール」というインド人の心性でした。

ジュガールとはヒンディー語で「応急処置」という意味らしいのですが、転じて「その場しのぎでうまくいくならそれでOK!」、さらには「さまざまな規制をたとえ違法な方法でもくぐり抜けて目的を達成する才能」を意味します。

インドでは、ジュガールがビジネスで成功する才能だと今でも考えられており、ジュガールに長けた人は尊敬の対象になっています。日本でも、『大富豪インド人のビリオネア思考』という、「ジュガール礼賛本」が出版されているほどです。

インドで作られたジェネリック医薬品をアメリカで使うには、FDAの認可、定期的な精度管理、工場の査察など、品質管理のための高いハードルがあり、そこにコストがかかります。ところが、ジュガールを使うと、でたらめな書類やその場しのぎの査察対策でFDAをごまかし、いい加減な品質管理でコストダウンすればよい…という具合になります。

「嘘」でつくられる薬が消費者に届く恐怖

本書のメインとなる実話では、アメリカで成功してインドにもどってきたインド人研究者が、インド製薬業界のジュガール体質に嫌気がさして内部告発。これを発端に、FDAやアメリカの司法とインドの製薬業界(さらにはインド政府)の間で、さまざまな法や駆け引きのバトルが繰り広げられます。

その研究者の事件は解決するのですが、アメリカの政府や消費者が財政的にジェネリックを求めていたため、インドのジェネリック医薬品が持つジュガール体質は温存されてしまいます。それどころか、FDAが規制を厳格化しインドからの薬剤の輸入が滞ると、アメリカ国内では薬剤が不足する事態に…。

もちろん、この本で取り上げられている事例は、先進国とは異なる倫理観を持つ国の企業の話です。先進国内のジェネリック医薬品にあてはまるものではありません。

しかし、世界一厳しいといわれているFDAをもってしても、なぜ「嘘」でつくられた薬が消費者の手に届いてしまったのか、そのメカニズムを知ることは重要でしょう。

この本を読んで感じる不安に対しては、日本ジェネリック製薬業界のWebsiteでもQ&Aの形で解説されています。ぜひこちらも読んでみてください。

まとめと次回予告

新型コロナウイルス感染症もそうですが、先進国の生活環境や衛生状況や倫理観では起こりえなかったようなことが、グローバル経済によるモノの移動で、われわれの身近に突如出現しています。そして、それを避けることはむずかしくなっています。

中国のリアルな感染症やインドの低品質な薬剤が、直接われわれの健康に影響を及ぼす…。グローバル化の裏では、そのようなことが起こっているんですね。コロナ禍の今、なんとも底知れない不気味さを感じました。

薬についての話題が続いたので、次回は趣を変え、最近よく耳にする「認知バイアス」や「行動経済学」、さらにはそれらの医療への応用をテーマに本を選んでみました。どうぞお楽しみに。

かくて行動経済学は生まれり」、「医療現場の行動経済学」「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」の3冊を読み解いてみたいと思います。次回もご期待ください。

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