El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

悲素

夏祭りにカレーと言えば・・・

悲素

悲素

  • 作者:帚木 蓬生
  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: 単行本
 

 和歌山毒物カレー事件が起こったのは1998年7月、もう20年近くになります(ああ、もうこの事件を知らない世代もかなりいるでしょうね)。被疑者・林眞○美は2005年に最高裁で死刑が確定しているのですでに死刑囚ですが今も大阪拘置所に収監中です。被疑者やその母親が生保の営業職員だったことや夫(保険金詐欺で逮捕、刑が確定しすでに服役をすませ出所ずみ)が高度障害保険金を受け取った後にもまた新たな保険に加入できていたこと、などなど、生命保険や損害保険との関わりも当時話題になりました。このまま風化してしまう前にということでしょう、タイトルも「悲素(ひそ)」としてこの事件を記録するセミ・ドキュメンタリーが本書です。

「悲素」は「三たびの海峡」などの作品で知られ精神科医でもある帚木 蓬生(はわきぎ ほうせい)氏の久しぶりの医学小説です。帚木氏が地元の医師仲間でもある井上尚英九州大学名誉教授からカレー事件やサリン事件に捜査協力した際の鑑定資料一式を託されたことが執筆のきっかけです。井上尚英先生は日本に数少ないヒ素中毒の第一人者でもあり、その彼に和歌山県警から極秘の鑑定依頼があった1998年8月から2009年5月の死刑確定前後までを小説として描きます。

カレー事件だけでなく、17世紀にイタリアで販売された初の毒物「トッファーナ水」や、毒殺史を塗り替えた「マリー・ラファルジュ事件」、またヒ素による自殺を克明に描写した「ボヴァリー夫人」やアガサ・クリスティ「蒼ざめた馬」を読んだ毒殺魔グレアム・ヤングのエピソード、さらには、タリウムサリンなど日本の毒物事件の詳しい解説もあり、毒物と犯罪の歴史を学ぶこともできます。安易に高度障害保険金の診断書を書く医師の存在、被疑者が保険のしくみ、特に支払われる際の判断の抜け穴を知りつくしていることなど事件の記録から学ぶことは多いでしょう。