El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

こころの旅

 

「こころの旅」P155から
どのような仕事、学問、業績を生きがいとしてきたにせよ、そべては時とともにその様相と意義が変わって行くものだ。自分のあとからくる世代によってすべてがひきつがれ、乗り越えられ、変貌させられて行く。その変貌の方向も必ずしも「進歩」とは決まっていない。

分散か統合か、改善か変革か廃絶か、歴史の動向と人類の未来はだれが予見できるであろう。自分の過去の歩みの意味も自分はもとより、他人にもどうしてはっきりとわかることがあろう。その時その時を精一杯に生きてきたなら、自分の一生の意味の判断は人間よりも大きなものの手に委ねよう。

こういうひろやかな気持になれれば自分の過去を意味づけしようとして、やきもきすることも必要でなくなる。いたずらに過去をふりかえるよりは、現在まわりにいる若い人たちの人生に対して、エリクソンのいうような「執着のない関心」を持つこともできよう。彼らの参考になるものが自分にまだあるなら、よろこんでこれを提供するが、彼らの自主性をなるべく尊重し、自分は自分で、生命のあるかぎり、自分にできること、なすべきことを新しい生きかたの中でやって行こう、という境地になるだろう。

なかなか良い文章。実際の自分の子供についても、あるいは会社の後輩についても、みな私を乗り越えるべき存在である。乗り越えられるように、手を貸し、邪魔だてせず、ときには身をかがめているのが自分の立場である。