El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

服従

近代西洋社会は進化論的には畸形である という寓話

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

 

フランスにイスラム政権誕生というプロットであるが、本質的には、キリスト教的(あるいはウェーバー風にプロテスタンティズム的とも言おうか)、つまり経済面では資本主義・市場主義・グローバリズム、社会面では個人主義自由主義・男女平等主義などなどが、人類の進化論的本質とは齟齬があるため、キリスト教圏や、その精神を引き継いでグローバル経済に組み込まれた日本や中国においてさえも、人類という種は、経済的につかの間成功しても、少子高齢化やらなんやら種としての不都合な状況に陥りつつある・・・ということを言おうとしているんだね。

しかし、それをストレートにいうことははばかられる、それほど世界はキリスト教的精神で覆い尽くされてしまっている。一夫多妻が生物として正しい・・・と言ったらどうなるか考えてもみてほしい。ところが、一夫多妻をシステムとしてもつイスラム教はどうだ、アラブの春の顛末やらISやらタリバンやらでイスラム教を「悪の権化」みたいに考えている人もいるだろうけど、その教義は実は種としての人類の本性と親和性が高いのではないか。西欧化するまでは一夫多妻の社会が多かったのは事実だ、それはなぜ。一夫多妻のほうが、オスとメスという生理的に同一ではない2種の性からなる人類にとって進化論的にマッチしているのではないか、と、言えないけれど言いたいわけだ。

そういった一切合財を、政争の挙句のフランスにおけるイスラム政権という仮定のもとでの、文化人の生き様という形に仮託することでマイルドに表現しているのはさすがのウェルベック。結局「進化論的には、現在のようなキリスト教的社会は畸形である」という話であり、それはそれなりに納得。