El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ダーウィンの呪い

「適者生存」と「貧乏人の子沢山」をつなげると・・・?

「ダーウィンの呪い」というタイトルだが、「進化論」がいかにたやすく優生学的危険思想に転化してきたか、という黒歴史本。そもそもダーウィン自身も優性思想が皆無だったとはいえない。読みごたえはあるが、暗澹たる気分にはなる。

日本語の「進化」という言葉には「進」という字が使われているために「進化」=「前向きの変化」というニュアンスがあり、「進化論」と言ったときにも「生物が前向きに(いい方向に)遺伝的に変異していく理論」と解釈されてもしかたがない面がある。「進化」という訳語が充てられた英単語「evolution」にも「前向きの変化」というニュアンスがあるのだろう。ダーウィンはtransmutation=変異を理論化したわけで、その変異にそれこそ「進歩的な色合い」を持たせたわけではない(と、言い切れない部分もある・・・が)。

ダーウィンの理論の根幹は「自然選択」であり、それ以上のものではない。それは、親→子となるときに遺伝子多型が生じ、少しずつ変化した遺伝子をもつ子が生まれる。その遺伝子型による状態(=表現型)が、次の世代を残す確率(=適応度=出生数×生存率)に変化を及ぼす場合、適応度の高い表現型をもつものが少しずつ増えていくーというもの。変異のうち出生数と生存率に無関係であればそれは「自然選択」されない。

一方で「適者生存」というと生き残って増えるものが「適応力あり」となり、まあそれも遺伝子レベルで数世代ごし(人間でいえば100年以上のスパンの話)の話のはず。

ところが目の前の人間社会にアナロジーを当てはめるという、近視眼的な発想をすると進化論は容易に優性思想に結び付く。