El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

異常(アノマリー)

引き込まれ、解体され、消滅させられる・・・そんな読書の悦楽!

こんな小説に出会えてハッピー、と思える仕上がり。3つのパートに分かれている。以下、第2部以降のレビューにはネタバレあり(ただしネタがバレても楽しめます)。

第1部では、10数人のバラバラではあるが同時期(半年程度)の人生模様が、それぞれの人生模様にふさわしい文体(タッチ)で描かれる。プロの殺し屋が最初に登場するのでクライム・ノベルと思ってみたりもする。彼ら・彼女らに共通するのは、同じ飛行機でパリからNYに移動しており、その際にすごい乱気流に遭遇している(そのことはそれぞれにさらっと書かれている)。それぞれに幸せだったり、不幸せだったり、出会いや別れや妊娠や自殺に病死、そんな人生模様。

第2部が大きなSF的なしかけ。第1部の乱気流の飛行機の旅から3か月経過したあとで、その飛行機が突如時空を超えて着陸を要請。つまり3か月前に着陸してそれぞれの人生を歩み始めた人生とは別に、3か月前の状態で飛行機と乗客が出現する。まるで、コピー機にかけてコピーが排出され、そのコピーにいろいろ書き込んでいたら3か月たって原本が排出されたような状態で、3か月ずれた自分の分身が出現したわけ。

荒唐無稽!と思いもするが、事態の解釈は一応なされ、「シュミレーション仮説」が有力視されるのだが、まあそこらあたりは小説の主題ではない。ここまでは舞台設定。

第3部、3か月ずれた自分の分身との折り合いをどうつけるかという人生模様、ここがこの小説のキモ。読み応えあり。特に、「3か月の間に自殺した(設定の)小説家がこの小説自体を書いている」というメタな解釈が織り込まれるあたりは超絶技巧だ。最後にまた別のコピー旅客機が登場して・・・世界は仮説どおり消滅するのか・・・

SFじみた、荒唐無稽さも否めないストーリーではあるが、ディテールがすばらしいので、ストーリー(=時間差分身に遭遇したことで変化していく人生)に翻弄される個々人のエピソードに人生の本質を見る、とでも言えばなんとなくわかってもらえるだろうか。エンタメとしてもすばらしい。訳もまったく違和感がない。

著者は私と同じ1957年生まれ、他の作品も読んでみたい。(図書館本)