El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明

チコちゃん風に言うと「なぜ印象派が出現したの?」→答え「写真ができたから」

科学と美術の絶妙な関係。超絶!おもしろい! 卒業アルバムや画集のような大型の本だが、絵そのものの鑑賞がメインテーマではないので図書館本でも十分かも。

ルネサンス以前の微妙にデッサンの整わない宗教画的な絵画がルネサンス以後、急速にデッサンの整ったリアリティのある絵画になっていったのはなぜか?それは、レンズなど光学機器の発達によって紙面に投影した現実を模写するという手法が広まったから。カラバッジョもダ・ヴィンチも実物を見て描いたのではなく、実物を紙の上に投影してそれをなぞるというテクニックを駆使していた。

考えてみれば、まあ当然のことかもしれない。写真が存在する現在から考えると写真をみながら絵を描いたなんてズルい?と思うかもしれないがズルをしていたわけではなく、新しいテクノロジーを利用していたということ。そもそも現実を写し取る手段として、写真は無いわけだから、絵=精密な模写(≒写真)だった。その事実をさまざまな絵から立証しようとする本。

19世紀になってそうしたレンズをとおした映像を印画紙に写真として残せるようになると→緻密な絵の意味がなくなる!→絵画は模写の緻密さを競うものではなくなる→印象派やキュビズムの出現、となる。

表紙の写真↑ は、著者ホックニーが目の前においたプリズム(カメラ・ルシーダ)を通して、対象物が手元の紙の上に存在するかのように見ながら模写している様子。

遠近法絵画が写真に置き換わった現在、日本や中国の絵巻に見られる多視点絵画のもつ意味がクローズアップされる。(図書館本)