El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

窯変源氏物語(14)ついに完読!

(51)浮舟・(52)蜻蛉・(53)手習・(54)夢浮橋

ついに最終巻へ。ここまで読んで感じるのは「源氏物語」とは平安の(一見)男社会を生き抜く女たちの物語だということ。受領の娘・紫式部が書いたのだから、女性目線で(貴族社会の中でも)ランクの低い階層の目線で書かれているのは気づいてみればあたりまえで、そのことを認識することで物語世界がずいぶんと違う色に見えてくる。

併読していた綿矢りさの小説の女主人公たち(=昭和男たちにいらだちながらOLやってるこじらせ女子?)と共通する部分を感じる。それは女性文学の永遠のテーマなのかもしれないね。

(51)浮舟(二)・・世間体を気にし浮舟への愛情もなんとも屈折している薫、かたや欲望のままに行動し直接的な匂宮。成り行きとはいえ、二人の男を受け入れてしまった浮舟。屈折した三角関係の中で浮舟はある決断を・・・・。しかし、女は時として、いや往々にしてまじめな男よりも魅力のある男を選んでしまうもの、そしてその結果不幸になる。

しかし、忍び込んでしまえば簡単に男女関係を完遂できるのが平安時代。十二単といっても帯を結んでいるわけではないので合わせ目をオープンにするだけで・・・?浮舟の色っぽさは抜きんでている。

(52)蜻蛉・・三角関係の中で、宇治川に身を投げた浮舟。遺体は見つからないままだが、薫も匂宮もそれぞれに浮舟のいない世界を生きて行く。自尊心ばかりが強く、ゆえに独占欲が強いくせに、真の愛情のことがわからない薫、いるなあこんな男!(12/25)

(53)手習・・宇治川に身投げして死んだものと思われた浮舟。実は支流に打ち上げられて助けられる。助けた尼は自分の娘のように思いなして都びとの男(尼の無き娘の夫)と娶せようと、これまたエゴな行動。何もかもがいやになった浮舟。ここでは匂宮の魅力に負けて薫を裏切る形になったことを悔いている。皆の思惑に背を向けて浮舟は出家を遂げる。

(54)夢浮橋・・浮舟を出家させた横川の僧都が意外におしゃべりで浮舟の生存が薫にまで漏れ伝わってしまう。思いがけない話に浮舟への愛を再燃させながらも世間体や匂宮への情報漏れの方を心配する薫。僧都と薫の言質を取られまいとするやりとり。結果、薫が手元で育てていた浮舟の弟を浮舟のもとに遣わすが・・・浮舟はついに返事をしようとしない。様々に心悩ましての浮舟の決断にもかかわらず、浮舟の無反応に接した薫は「もう男でもできたのかもしれぬ」とリアリスト的に考えたらしい・・・・と、伝えられております。(と、アンチクライマックスに終わる)

橋本版・窯変源氏ではその後の浮舟がこの話全体を書いたとも読める表現になっているが、原本などでは「もう男ができたのか・・・」と思う薫の俗っぽさが強調されてそれはそれでなかなかよい。

これで「ひととおり源氏物語を読んだ」と言えるようになりました。雅(みやび)な話だろうと思っていたけれど、実際は平安の男社会を生き延びる女性たちの群像劇だった。