El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

サピエンス減少 ー縮減する未来の課題を探る

子どもは1人で十分な社会を作ったのもまたわれわれ

人口維持のための合計特殊出生率が2.07、つまり一人の女性が生涯に産む子供の数が2.07人であれば人口は維持されるわけだが・・・・日本は1.3前後が続いているので当然人口は減る。政府は人口減を緩和するために不妊治療を健康保険の対象にしたり、子育て世代への支援をすすめてはいるのだが

この本は、人口が爆発から爆縮にいたる人口転換のメカニズムなどがきちんと書かれておりそれなりに役にたつ。しかし、この人口減少の問題が何ともかみ合わない感じ、つまり、国や政府が尻をたたいても2人3人と子供をもつ夫婦が増えるのだろうか、という根源的な疑問がある。

というのは、ここから先はまったくの私見なのだが、現代日本では子供は1人で十分なんだよね。今の日本では、核家族化が進んで、例えば自分のことで考えても、自分たち夫婦のことは自分たちで完結したいと考えている。親の世話にもならないし、子どもの世話にもならない。逆に言えば、親も子どもに世話になることを期待せず、子どもも親離れしたあとは自立することを期待されている。

子どもが将来親の面倒を見るような時代や、子どもの死亡率が高かった時代は2人以上の子供を作る必要があっただろうけど、こんな自分たちの世代だけで完結することを目指す社会では、老後のさまざまな手続きや死亡後の手続きなどでどうしても子供の支えが必要な状況があるとしても、それは1人の子供で十分なんだよね。親世代も長寿で父親の死を母親が看取って後始末をし、母の死を子供が看取って後始末をする、それには子供1人で十分。

だから、合計特殊出生率は1人と2人の間くらいに落ち着くのはある意味当たり前。2.07人が必要というのはお国のためだったりするかもしれないけど、現実問題として2人を産む必然性なんて全然ないわけ。民主的で核家族をモデルとした欧米型の産業構造+社会構造に舵をきった世界において、人口が減少するのは理屈にあっている。

現在の推計では日本の人口は約100年後、2120年に5千万人を切るらしい。明治維新の頃の人口が3千万だったことを考えるとそこまでインパクトのある変化でもないんじゃないか?それに、そんな先のことどうでもいいと思っていると思う。みな自分の生を謳歌するので精一杯なんだから。100年後もきっと、何かしらうまくやっていってるよね、5千万人の人口で・・と思いたい。