El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

思い出せない脳

記憶研究がこんなにすすんでいたとは!

脳科学というとあやしい話しかしない自称脳科学者が多いが本書はまじめな生物学的な脳科学本。「記憶」の科学的メカニズム、現在わかっている範囲のことはおおよそ理解できる内容になっている。章立ても工夫されており、序章「年をとると思い出せなくなるのはなぜ」というつかみからはじまって、思い出せないときに脳の中で何が起こっているのかを5つのパターンごとに章分けして教えてくれる。それぞれの章は冒頭の星新一のショートショート風の「ストーリー」で始まり「本文」があって最後にまとめの「コラム」が添えられコンパクトにその章のテーマがわかる、そんなしかけになっている。

第1章 記憶を作れないとどうなるか(記憶の作られ方)
ストーリー:記憶を作れない男。映画「メメント」のような話。
神経細胞と記憶の基本的メカニズムがわかる。お酒を飲んで酔っ払っていつの間にか家には帰ってきているがその間の記憶がない、そんな経験のメカニズム。どんな経験でもすべてが記憶されるのではなく、選別され消えていく記憶もあれば保存される記憶もある。
コラム:ワーキングメモリとは何か

第2章 情動が記憶を選別する(情動と記憶の関係)
ストーリー:宇宙人のミッション
どの情報を重要視し記憶に残すのか、その判断基準としての情動(=その記憶ができたときの気持ちの揺れ)。情動が強いほど強い記憶ができる。情動をコントロールする情報伝達物質とそれぞれを分泌する脳の核。
コラム:情動をコントロールする方法

第3章 睡眠不足が記憶の整理を妨げる(睡眠と記憶の関係)
ストーリー:トロッコの行き先
睡眠による記憶の整理・編集・定着。記憶を呼び出しての更新作業、その間に夢を見る。呼び起されるたびに強化され変更される記憶。シナプスのスパインの刈り取り。
コラム:夢分析の脳科学的解釈

第4章 抑制が効いて思い出せない(抑制による記憶の調整)
ストーリー:ファンと警備員
抑制による記憶の調整。思い出そうとすればするほど思い出せない→ある回路が活性化されると周辺が抑制される。洗脳・マインドコントロールの原理にもなる!
コラム:記憶を食べる脳細胞(ミクログリア)

第5章 使わない記憶は変容し、劣化する(記憶の変化・劣化)
ストーリー:最高のプレゼンテーション
記憶は思い出さなければ劣化し、思い出せばそのたびに変容する。その曖昧さこそが脳の戦略。
コラム:人工的に記憶を操作する――光遺伝学

という具合に順を追って解説してくれる。知識ほぼゼロから読み始めても最後まで読めば記憶についてかなり詳しくなっていることに驚く。どうしてこんなことがわかってきたのかについては光遺伝学(P185)以外は詳しい説明がないので、著者の話を鵜呑みにするしかないのではあるが、その先はまた別の本(例えばブルーバックスの「記憶のしくみ(上・下)」)などに進めばいいのかもしれない。

それにしても、記憶-睡眠-夢、だれもが毎日接しているものではあるが、その深奥が次第に解き明かされているのは驚きだ。

現代新書ではなくブルーバックスでもいいのでは、というくらいサイエンティフックでした。講談社がどちらを上に考えているかはわかりませんが。