El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

QUITTING やめる力

人生は「やめる」の連続・・・

若者世代では転職がそれほど珍しいことではなくなっている。「やめないこと」「頑張り続けること」が美徳と言われた時代から、もっと多元的な「あれがだめならこれが」「困難に立ち向かうよりも、困難を避けて」という考え方・生き方の時代になっているのかもしれない。・・・というわけで「やめる」という人生戦略について書かれた本を読んでみた。

主には仕事や学校やスポーツなど世間的には「続けるのが当たり前」と思われているようなことを「やめる」ことの意味を考えさせられる。新しいことを始めるには何かを「やめる」ことが必要だが、世間的には「やめないこと」「頑張り続けること」が正しいという風潮がまだまだあることも確か。

例えば仕事をやめて別の仕事を探すとして、そこにはさまざまなメリット・デメリットがあるだろうが、そこに純粋なメリット・デメリットの評価軸以外に、モラルとして続ける方が正しくてやめてしまうことはダメなことみたいに考えてしまう社会的評価軸がある。終身雇用前提の古い日本の企業文化ではそうした評価軸はさらに強いだろう。日本的な過労自殺などはまさに「やめる」ことができないからこそ起こる。

そうした社会的な「やめる」を悪とみなす評価軸の歴史的発生要因、そこからの脱却法がたくさんの実例や引用を中心に語られている。参考になるし勇気づけられもする。やめ方もさまざま。

仕事に就くときには必ずしも100%自らの意思でない場合も多い(企業の意思や親の意思などなど)だろうが、「やめる」ことこそは自らの意思でできることだ。思えば、私自身の人生も大きな転機はいつも「やめる」が起点になっている。「やめる」ことで人生を切り拓いてきたと言ってもいいくらいだ。それなのに親になってみると子どもたちに「やめるな」と言ってしまう・・・という矛盾。そして、子どもたちが自立していく過程を振り返ると(いや、過去だけではなく、この先も)、彼らの人生もまた「やめる」ことで切り拓かれることが多いだろう。そうした彼らの選択の結果に幸多からんことを・・・結果が悪かったらまたやめればいいんだ!最悪なのはダメなのに続けてしまうこと!