El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

諦めの価値

大人の「あきらめ」は、本当に大切!

著者は1957年生で同じ歳。名古屋大学工学部の助教授時代に著者の推理小説「すべてはFになる」がヒットした頃には、私はもう実生活が忙しくて読者となることはなかった。書店での平積みを見て「ずいぶん儲かってそうだな・・」と思ったことはある。

その後もヒット作をとばし、大きな収入を得たことで大学も退職、推理小説をバリバリ書く生活からも引退気味で、今は時々この本のような彼の独自の価値観から人生訓話的なエッセーを書いている。どこか(軽井沢?)に広大な土地を買い家をたて庭園鉄道やらラジコン飛行機やら、工作を楽しみつつの65歳ということらしい。

そんなユニークな人生を送ってきたにもかかわらず、森先生の人生訓話はかなりまともで、成功者でもある故に説得力もある。ややニヒリスティックではあるが・・・。

今回の著作のテーマは「諦め(あきらめ)」。ただし編集者から振られたお題ということで、全体を通して歯切れわるく進行するのだが、それでも同年代として納得させられることは多い。

諦めきれずにこだわることで、なんとかこじ開けられることもあるだろうが、傷口を広げてしまうことの方がきっと多い。ところが「諦めずにがんばれ」精神みたいなものが確かにある。「諦める」がダメなことみたいな神話。その神話が「諦める」の本質をあいまいにしてる。あこがれレベルの夢は「諦め」る云々の対象ではないだろう。

ある程度、努力を続けてきたがどうにも突破できなくて諦める。その見切りこそが「諦め」。考え抜いて価値判断や確率判断がもたらすものが「諦め」。

物欲について、「その物を手に入れたい目的があるわけだが、物のもつ具体性のパワーがいつのまにか物自体が目的になる」・・・これ!あるなあ。手に入れたらなんだこれ?みたいな。いやいや、勉強になりました。

いろいろ「諦め」ていくことも増えるこれからです。