El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

インターセックス

やや陳腐なサスペンス仕立てだが、性分化障害についての理解は深まる

帚木蓬生は医学・医療がらみのサスペンスをいくつか書いているが「インターセックス」もその一つ。インターセックスとは「肉体的に=性器などが」男性なのか女性なのかはっきりしない状態のことで、今は性分化障害(DSD:Disorders of Sexual Development)と呼ばれる。古くは半陰陽などとも。「肉体の性」と「精神的な性」が一致しないLGBTQとは異なることに注意。

 性同一性障害と、インターセックスの患者は、似ているようで、その実、大きな違いがある。魂という中味と、身体という容器が釣り合わないのが性同一性障害だ。白い魂は白い箱に入れなければならなかったのに、何かの手違いで、黒い箱に入れられてしまったと考えていい。白い魂は、このままでは一生苦しむので、黒い箱を白い箱に取り替えてもらいたいのだ。しかし、それをはばむものが、戸籍や常識といった社会規範である、白を黒、黒を白に取り替えられない医学的困難さだと言える。

 一方インターセックスは、魂も白と黒が混じりあい、はいっている箱そのものも、白と黒の模様入りか、灰色なのだ。

 そして問題は、魂と容器の色の合致よりも、社会規範そのものが、白と黒の二色の魂や箱も認めない点にある。まして灰色の魂や箱など、あってはならない話だ。社会規範の中で生きざるを得ない医学は、せめて、箱だけは、白あるいは黒に近づけようと努力する。

本書に記載のある疾患は下記(DSDに含まれる疾患は12種類くらい報告されている)

アンドロゲン無感受性症候群(AIS)

5-α還元酵素欠乏症(SIARD)

先天性副腎過形成

メイヤー・ロキタンスキー・キュスター・ハウザー症候群(MRKH)

それぞれの患者も登場し、治療の現場の葛藤が描かれる。治療上の大きな論点は、

①生下時の外性器・内性器の状況によって、修正して寄せられる性別にしてしまうという積極的介入主義

②生まれつきの状態を受け入れ、思春期以降に自己決定させるという自己決定主義

主人公の女性医師(実はDSDで染色体は男性)が②、野心的な男性院長(産婦人科医)は①の立場。女性医師はドイツでの経験からDSD患者の自助グループを作り患者の自己決定を重視しながら性別に囚われない生き方を模索する。その自助グループのミーティングでのカミングアウト部分のリアリティはすごい。

野心的な院長はDSD以外にも様々な病態に対して倫理上セーフギリギリの治療や実験を行いついには殺人を重ねる。この院長の造形があまりにも粗雑なためサスペンスというかできの悪い医療ホラーみたいになっているのは残念。一方で、DSDについては様々な論点がわかるし、患者数が意外に多いことにも驚く。

LGBTQが広く社会に許容される傾向とは対照的に日本国内で数万人(AISだけでも1万人)はいるであろうDSDは小児期に親や主治医の恣意によってラジカルな外科手術がおこなわれ、疾患であることそれ自体をタブー視し、目をそらす傾向にあることは事実だろう。性のグラデーションについてDSDというLGBTQではない視点を得ることができる一冊だ。