El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

感染症利権

政治と利権に振り回された近代日本感染症

ほとんどの疾病は個人的な出来事だが感染症だけは社会的な事件であることを新型コロナウイルスは再認識させてくれた。そこには政治や経済も大きく関わってくる。また、グローバリズムの中で外国から持ち込まれる感染症への対応の難しさもクローズアップされた。

日本における最初のグローバリズムといえば幕末の開国と明治維新だ。幕末の開国は感染症に対する開国でもあった。コレラが長崎から上陸し幕末明治に大流行、西南戦争では戦死者よりも病死者が多いほどだった。そこから公衆衛生という思想が生まれる。ここで活躍するのが日本の衛生行政を確立した後藤新平、そして世界的細菌学者となった北里柴三郎というヒーローが生まれる。この頃の最近発見の先陣争いにも、北里VS東大閥、内務省VS文部省、コッホVSパスツールなどの複雑な競合関係が。

そして明治の官僚や軍隊が制度的に安定してくると、文部省ー東大閥ー陸軍体制という国家権威はそうしたヒーローを排除し、官僚と学閥と軍が衛生行政も医学も支配していく。鴎外森林太郎も権威の側にあった。日本の医学部に特徴的な権威主義的医局制度の源泉でもある。「医局講座制は効率よく医学を浸透させるメリットを持つが、結果的に閉鎖的で家父長主義に染まった医師集団を生んだ」(P104)、その通り。

20世紀になるとスペイン風邪がコロナと同じ光景を産み出す。この時もマスク配布が実施されたことに驚く。軍制に取り込まれた医学が生み出したのが軍医石井史郎にが率いる「悪魔の飽食」細菌戦の731部隊。この部隊が主導して陸軍軍医学校防疫研究室や戦地の防疫給水部が一体となった「石井機関」が細菌戦のための人体実験を実行。

細菌戦は大した実効性もなく敗戦を迎えたが、恐ろしいことに米軍との関係で免罪を得た石井機関幹部は一転して戦後の公衆衛生の担い手になる。今の国立感染症研究所は元予防衛生研究所であり石井機関出身者が要職を占めた。国立国際医療研究センター(新宿)も国立がん研究センターも元をたどれば軍関連の施設なのだ。病院関係だけでなく医療ビジネス界にも元731部隊関係者が多数流れ込んだ。製薬会社や民間の研究所など、いかに石井機関が石井機関が医学・公衆衛生分野のエリートを集めていたかがわかる。

この戦後の復権で重要な役割を果たしたのが石井の片腕、内藤良一。内藤は血液産業に目を付け日本ブラッドバンクを設立し戦後の売血大国日本を作り出す。それが肝炎ウイルスの蔓延を引き起こす。さらに売血の中止と引き換えに血液製剤の販売権をえたことが後の血液製剤によるエイズ禍へと負の連鎖は続く。

海の向こうでは中国発症のウイルス感染症SARS新型インフルエンザ、WHOもからんで政治的にもゆれる。極めつけはアメリカのバイ・ドール法(1980年)、教育・研究機関の科学的成果の特許権(=占有権)を認めたこの法律のために、研究機関は薬剤利権の下請け状態に。そういえば、本庶先生もオプジーボで小野薬品ともめてましたね。そしてコロナ禍の今、ワクチン開発ももちろん利権が深く深く関わっています。

一連の流れを見ると、パンデミックはお金になるという側面がたしかにある。湯水のごとく税金を投入しても文句を言えない。感染症にからむ政治・利権・金の動きをコンパクトにまとめて読ませる一冊。「ゴッド・ドクター 徳田虎雄」を書いた山岡淳一郎氏の筆力に再び唸らされた。