El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(54) LGBT外科治療の現場!

――LGBT外科治療の現場!――

ペニスカッター:性同一性障害を救った医師の物語

ペニスカッター:性同一性障害を救った医師の物語

 

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしております、査定歴21年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは性同一性障害LGBT)。LGBTはここ数年すっかりポリティカル・イシューになってしまったのでここで取り上げるのは躊躇していましたが、LGBTの治療の歴史を現場感覚で理解できるこの本を見つけました。

 「ペニスカッター」というドッキリするタイトルですがこれは出版社が目を引くようにつけたものでしょう。その内容はタイトルの印象とはまったく異なり、和田耕治先生というLGBT治療黎明期を駆け抜けた一人の医師のライフ・ヒストリーです。テレビタレントのはるな愛ちゃんの性転換手術を執刀した先生といえば、知っている人はピンとくるかも。

 著者紹介文を引用しますと―― 和田 耕治(わだ こうじ) 1953-2007年。性転換(性別適合)手術の第一人者で、大阪市北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」の院長を務めた。宮崎県延岡市出身。群馬大学医学部を卒業後、東京逓信病院東京警察病院、大手美容クリニックを経て、1996年に大阪で開業。1997年に日本精神神経学会が「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」を策定した後も、ガイドラインに束縛されることなく、患者の希望に沿い性転換(性別適合)手術を行った。その手術数は国内で600人以上。学会や社会からは異端児されたが、ジェンダーに悩む多くの人々に尽力的かつ安価に、医療手術・整形手術・性転換(性別適合)手術などを行った。2007年、自身の病院で突然死した。――この和田先生がブログなどに書き残した文章を妻であった深町氏がまとめたのが本書。性転換手術の現場がリアルに体感できます。

 日本では1965年の「ブルーボーイ事件」(本書の補遺に解説あり)以来、性転換手術がタブー視されるようになり、手術を受けるにはタイやフィリピンで受けるしかない状態でした。その後、埼玉医大精神科の活動などによって日本精神神経学会が1997年にLGBTの診断と治療のガイドラインを策定し、20年かけて最近の状況にまで変化してきました。まさにLGBTに対する世間のそして医療界の反応は平成年間に激変したのです。

 和田先生はこの変化以前から独自の信念と患者を思う心から、さまざまに工夫をこらしながら低価格で性転換手術を開始しました。まさに性転換手術界の赤ひげ先生であり、ある意味因習打破の突破者でもありました。ニューハーフにとっての神様・救世主と言われるようになっていく過程は読んでいて快哉ものです。

 しかし、その活躍は長くは続きませんでした。和田先生がつまずいたのは麻酔原因による2例の死亡事故でした。外科医が麻酔も自分でやるというのは一時代前は普通のことでしたが、一人で麻酔(マスク麻酔に硬膜外麻酔の併用)をしながら手術もやるという状況はやはり事故が起こった時に大変です。ちょうど医療事故にたいして警察が動くという風潮が出てきたころでもありました。

 和田先生は自分は間違っていないという信念から、民事・刑事でも自ら矢面にたってがんばり、その間にも手術を執刀するという激務の日々。その後には民事の賠償金などに悩まされることになります。さらに長く長く続く検察の捜査。起訴猶予処分。多忙さは解消されず・・・・そんな中での54歳での死。

 美容形成外科の現実や性転換手術の現場感覚を感じながら読み進めて、最後は主人公である医師の死。やる気のある医師がいても、医療はやる気や善良さだけではやっていけない部分もあるということでしょう。いま一歩のリスクマネジメントができなかったものか。

 アンダーライティングで目にするLGBTは診断書や告知書の中に書かれ抽象化されてリアリティを失っていますが、本書を通してその治療の現場を具体的なものとして知ることができました。しかし地方出身の医師が自らの正義感で邁進して死に至る。和田先生がまさに私の出た高校の4年先輩だということもあいまって、他人事とは思えないメランコリックな読後感になってしまいました。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2019年9月)