El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

アブサロム、アブサロム!

 自分の構想(デザイン)を達成する力

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

 
アブサロム、アブサロム!(下) (岩波文庫)

アブサロム、アブサロム!(下) (岩波文庫)

 

 下巻102ページ

サトペンの悩みは、無垢であるという点だった。突然彼は、自分がしたいことではなくて、どうしてもしなければならないことに、望むと望まないとにかかわらず、それをしなければならないことに気がついた。なぜなら、もしそれをしなければ、これから先ずっと、自分自身にも顔向けできないし、自分を生み出すために死んでいったたくさんの男たち女たちが、自分が後世に伝えるべく残していってくれたものに対しても、また自分がうまくやり遂げるかどうかを待ち、心配しながらじっと見守ってくれている死者たちに対しても顔向けできないと、もしそれをしなければ、自分が死者の仲間入りをした時に、昔死んだ祖先だけではなく、自分のあとからやって来るすべての生きている子孫にも顔向けできないことになると気づいたからだという。(このあたりの20ページほどがアブサロム、アブサロム!の真の白眉)

深夜、フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」読了。続けて、フォークナーを、という気持ちもあるが、重すぎるかも。トマス・サトペンは結局は失敗してしまう(というか運命に復讐される)のだが、そのビジョンを作り、そこにむかって着々と前進する態度は自分が常々、意識していることだけに共感できた。

何をしていいのかわからないけど、周りにあわせて調子よくやっていく、という生き方が全盛のような気がするこの世の中で、長期的、そこから出てくる中期的・短期的ビジョンを設定する力と、それを実行していく力。ぼくは、そういうサトペン的な生き方が好きだ。