El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

後白河院

 

後白河院 (新潮文庫)

後白河院 (新潮文庫)

  • 作者:靖, 井上
  • 発売日: 1975/10/01
  • メディア: 文庫
 

平安末期から鎌倉初期、つまり院政期から武士の台頭、保元・平治の乱、平家全盛と没落から鎌倉幕府の時代、年代で言えば12世紀の日本の中央権力の有様を復習できる、またある程度わかっていないと読んでもなんのことかわからない。

院政の始まりの部分はいまいちわからない―中公文庫の「日本の歴史 6:武士の誕生」でわかった。道長から次の次の代ですでに院政の萌芽があったのだ。驕れる者は久しからず!院政の権力自体にパワー的な無理があったから武士が台頭したのかな・・・たぶん。院政の守護者としての北面の武士。ということは道長の時代の武力はいかに存在していたのか、というテーマもまたある。しかし、こうして歴史ものを読んでいくと江戸250年の平和の実現は相当にすごいことだ。250年も続く事自体が驚くべき。

それは逆説的に「なぜ、それ以前の時代は平和が長続きしないのか」という問いを発することになる。鎌倉幕府室町幕府も。一番単純に言えば「辺境がある間は平和にはならない」という大胆なまとめかな。島国なので、まあ主な島だけに限ってでいいのだが、日本という国土の中に辺境がある間は、辺境の支配と中央の支配が別であるわけで、支配力と支配力の衝突は常に起こり平和にはならない。秀吉・家康によって辺境は消滅した。

世界に敷衍すれば・・・地続きに辺境があれば平和にはならないのだろう。山とか川とか自然の障壁があればそうでもないかもしれない。資本主義もまた同じか あるいは逆か?資本主義的には辺境がある間は世界は辺境を求めてる。