El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

水車小屋のネネ

パラダイス、ロスト あるいは・・・

水車小屋のネネ

水車小屋のネネ

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500ページ弱と結構長い小説だけどするすると読ませる。新聞連載だったみたいで、「朝ドラ」的。北関東のどこかとおぼしき内陸の小都会が舞台。ただし、オウムというかヨウムが大きな役割をはたすので映像化はむずかしいかも。

人間同士の闘争に勝ち抜くことに価値を見出す、いわゆる修羅的な人生観とは真逆の、「誰かに親切にしなきゃ、人生は長く退屈なものですよ」(383ページ、藤沢先生)という生き方の人々の40年が淡々と流れる。

癒されもするが、それはたぶん自分が修羅的な成分多めの人生を生きてきたから。田舎に生まれて、都会に出て、才覚一つで成り上がりその位置を維持しなくては・・というせわしない生き方をしてきた人間にとっては「この小説のような人生を送りたかった」という思いもある。まさにパラダイス・ロスト。

例えば、自分の故郷の田舎にいまだに住んでいる従姉妹あたりはこの本の木下姉妹のような人生なのだろう。しかし実際は多くの日本人が故郷をすて住むところを変えながら人生の成功を目指した。どちらかと言えば姉妹の母や父や義父のような身勝手な生き方がありふれていたのが高度成長期やバブル期の日本。

この小説の舞台になるような町(おそらく栃木県の宇都宮近くの小都市)は、地方中核都市に近く東京も近いので過疎にはならずにすんでいる、そんな特殊な条件を満たしているから成り立っているのではないか。能登や九州の多くの田舎では、若者は残らず過疎と高齢化でこうはいかない。

などなど登場人物の生き方・環境に嫉妬していたらふと気が付いた。自分自身のこの先の長い老後を考えると東京を離れ地方中核都市を終の住処とする決断をした今こそ「誰かに親切にしなきゃ、人生は長く退屈なものですよ」と考えることができるのかも・・・そして、それが新しいパラダイスともなるのかも。

ストーリー中に挿入されている音楽が世相ごとに懐かしい。↓

(新刊購入本)