El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

嘘と正典

記憶の改竄のメカニズム

「ゲームの王国」で心酔して読み込みに入ろうとしている小川哲。目下のところ出版されているのは「ユートロニカのこちら側」「ゲームの王国」「嘘と正典」「地図と拳」「君のクイズ」の5作品。「地図と拳」があまりにも厚さがあるので、積読にしておいて短編集「嘘と正典」を読むことに。

6つの短編で「時間の流れと人生」みたいなものが通底するテーマ。検索すると緻密なレビューがある(例えば下記)ので各作品ごとのレビューはそれにゆずる。

一番、興味をもてたのが「時の扉」における「記憶の改変のメカニズム」。いい歳になってきて驚くのは、例えば妻や子供と、同じ出来事を記憶として共有していたと思っていたのに、今になってそれについて語ると、かなり記憶の中身がちがっていること。これについての記載を抜き書き・・・

残念ながら私たちの脳は、かなり強力に現実を改竄しています。・・・(中略)・・・これと似たようなことが過去への旅でも起こります。Bという時点で(過去の)Aという出来事を改変して、Aダッシュという出来事に変えてしまったとしましょう。実際に(脳の中で時間軸で)経験するのは「A→B→Aダッシュ」の順ですが、脳の左側がそれを改竄し、AとAダッシュを同じものだと判断し、「Aダッシュ→B」と認識してしまうのです。そうなると、私たちは過去へ旅したという認識を失い、Aという本来の過去をも失ってしまいます。「時の扉」はその強力な編集機能を使うことで、一定の過去を簡単に改竄することができるのです。(単行本P97)

過去の出来事Aについて時間が経過し現在の状況BにおいてAを現在に都合がいいかたちに修飾したAダッシュとして思い出す。Bの時点では「Aだったけど、Aダッシュと考えてもいいかも」くらいの認識だったとしても、一度Aダッシュが都合のいい解釈として想起されてしまうといつのまにか過去の出来事AがAダッシュだったかのような偽の記憶が出来ていき、その後は、Bで変更を加えたことは忘れてしまい、あたかも初めからAダッシュ→Bだったかのような記憶になってしまう。・・・これって、あるあるだなあ。

さて次はいよいよ大作「地図と拳」へ。