El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

新・私の本棚 (7)医師も明日は我が身「もしがんに、認知症になったら…」

https://membersmedia.m3.com/articles/8030#/  今回はかなり難産。全12回の予定だが息切れ気味・・・少し連載間隔をあけてゆとりをもちたい。

闘病記が語る「情報過多の中で健康問題を決める危うさ」

 65歳すぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのサード・シーズン「新私の本棚・65歳超えて一般書で最新医学」の第7回、テーマは「闘病記」です。

 書店に行くと、さまざまな闘病記がありますね。病名は、がん・難病・認知症が多い印象です。

 そんな闘病記を読んで感じるのは、ネットを中心とした「情報過多状態の中で、個人が自分の健康にかかわる問題を自己決定していくことの困難さ・危うさ」です。

 ネット社会以前は、「情報がない」ことが問題でした。しかし今は、むしろ「情報がありすぎる」ことが問題となっているように思います。これは、ネット上にあふれるさまざまな情報に翻弄される、という問題に変化している、とも言えると思います。医療者側も、自分の言った内容を患者が後でネット検索することを前提に説明する…なんて笑えない状況ですよね。

 今回は、そんな状況を患者目線で読んだ闘病記の中から、

 1:前立腺がんの検診と治療の経験から健診異常の解釈をめぐる闘病記
 2:がん治療、特に自由診療に翻弄される患者の立場を考えさせられる闘病記
 3:医師自身が認知症になったらどうなっていくのか――を妻が描く闘病記

 以上の3冊を紹介します。

人気作家が語るがん体験記

 1冊目は『ボクもたまにはがんになる』。2022年に評判になったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の脚本家、三谷幸喜氏の前立腺がん闘病記です。実際にがんが発見され治療を受けていたのは、以前に脚本を担当した大河ドラマ『真田丸』の脚本を執筆していた頃らしいので、6~7年ほど前になります。

 実際に手術を担当した慈恵医大の頴川教授との対談形式で、軽妙なタッチながらも前立腺がんの疫学・スクリーニング・診断手技、治療法選択・手術後の変化・その後のフォローアップと、順を追ってまんべんなくわかりやすく書かれています。「検診やドックでPSAの値が高く、前立腺がんの精密検査を受けるように言われた」という人には、かなり役立つ一冊です。

 レーガン元大統領や現在の上皇陛下の時もそうでしたが、「有名人がスクリーニング検査でひっかかってがんの治療を行い治癒した」という出来事が報道されると、そのスクリーニング検査を受ける人が爆発的に増えて、結果として実際にがんが発見される人も増えるんですね。同時に、その何倍も偽陽性で侵襲的な検査を受けることになる人も増えるので、こうした風潮は両刃の剣でもあります。

 無駄な検査や過剰診断をできるだけ減らしながらも、早期発見を見逃さないバランスが大事です! がん検診も、漫然と言われるままに受けていてはいけない時代です。あくまでも私(60代男性)の個人的な意見ですが、がん検診方針は、3~4年ごとに胃カメラと大腸ファイバー、それに肺から上腹部までのCTとPSA検査(これは正常値4以下ですが私は10を超えなければ生検は受けません)で十分だと思っています。

最近、世間を騒がす「がん自由診療」とは

 2冊目は、医師目線ではわからなかった医療をめぐる社会状況を把握できる闘病記、『作家がガンになって試みたこと』をチョイスしました。

 平成の間頃まで、日本の医療はそのほとんどが公的医療保険による保険診療であることが前提でした。今でも一般の人々は、医師や医療機関がおこなっていることにはすべて厚生労働省などの公的な権威による裏付けがある、と思っている人が多いのではないでしょうか。

 ところが、平成の終わりごろから「自由診療」というゾーンの医療が急拡大しました。そこで行われる医療は、医療者と患者の間の契約関係を根拠に行われています。不妊治療(今後保険診療となる予定です)や美容整形、レーシックなどが自由診療のフィールドです。

 そして、最近は「がん治療」の自由診療が世間を騒がすようになっています。川島なお美さんや小林麻央さんで話題になりましたね。

 試みに「樹状細胞」や「リンパ球療法」や「免疫療法」のワードでネット検索すると、あるいはただ単に「乳がん」と検索するだけでも、ずらずらと自由診療の医療機関の広告がヒットして検索上位に並びます。その様子を見ると、ネット広告が「がん自由診療(=民間療法)」の隆盛を招いているのかもと考えるほどです…。

 その後、当事者がお亡くなりになるからでしょうか、それら「自由診療のがん治療」の実態はなかなかわかりません。

がん自由診療を受けた著者の結論は

 そんな「自由診療のがん治療」ですが、2021年に死去された作家の高橋三千綱氏がリアルな闘病記を書かれていましたので、読んでみました。

 アルコール中毒で肝硬変・食道静脈瘤があるところに、食道がん、胃がんと診断された高橋氏。奥様が調べてきた「幹細胞療法」に始まり、次に娘さんが調べてきた「樹状細胞ワクチン療法」…と自由診療の道を突き進んでいきます。ちなみに、どちらの治療を受けたのもネットの情報がきっかけでした。

 本書の高橋氏の結論は、「もし、希望を抱いたまま痛みも苦しみもなく最後を迎えられるなら、民間療法も意味あるだろう。お金をむしり取られるのもまた患者の喜びであったかもしれない。しかし、民間療法はあまたあるが、私から見ればそこで救われる命はないのである」と、きっぱりとしたものでした。

 ただ、そこに至るまでの道は長かったようです。高橋氏が具体的に関わったのは、「幹細胞療法」のAクリニックと「樹状細胞ワクチン療法」のBクリニック。「幹細胞療法」には500万円を近く支払っています。

 日本では、「ガイドラインの標準治療」以外の治療を医師が独自の見解で自由診療としておこなうことに対して、ほとんど制約がないのです。そのことを、一般の人もこの本を読んで理解してほしいと思います。(本の中では、クリニックは実名で書かれています)

 これらのクリニック(検索すればすぐに出てきます)のHPを読み、そしてこの高橋氏の体験記を読めば、がん自由診療の真実が見えてくるはずです。

54歳で認知症になった東大教授の闘病記

 3冊目は、医師自身の認知症闘病記で、タイトルはずばり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』です。若井晋先生は1947年生まれ、東大出身の脳外科医で独協医大の脳外科の教授(1996~1999)、そして東大の国際地域保健学教授(1999~2006)でした。2001年ころから記憶の低下などが出現しているので、54歳という若さで発症した若年性アルツハイマー病になります。

 若井先生は2006年に東大教授を早期退職し、沖縄に移住・療養。2010年に要支援1、2015年に要介護5と進行し、2021年1月に誤嚥性肺炎で死去、73歳でした。

 症状が出始めてからの苦悶、現実との折り合い、診断確定、早期退職、病状の進行、そしてコロナ禍中の死まで。全体を奥様がつづったものが本書です。健常者である奥様からみた認知症患者の経過なので苦悩・苦労が多いのですが、そうした中で夫妻はあえて認知症患者の社会的な受容を目指して、積極的な講演活動を始めます。

 認知症でありながら聴衆の前にたち講演する――言葉が出てこないときもあれば、うまくいくときもある。そうした一喜一憂の日々を続けるエネルギーの根源は、ご夫婦ともキリスト教信者だからでしょうか。読者である私も伴走しているような気持になり、講演がうまくいったときには一緒になってほっとしてしまいます。

 それにしても、要介護5と認定されてからも5年以上の介護・看護が必要だったことを考えると、家族の苦労は並大抵のことではなかったでしょう。お疲れさまでした。そしてご冥福を祈りたいです。

 本書中に何度か引用される「老いゆけよ、我と共に! 最善は これからだ」は、英国の詩人ロバート・ブラウニングの代表作『ラビ・ベン・エズラ』から。いくら老いて衰えても人生の最善のときはその最後にやってくる――認知症になろうとなるまいと。

まとめと次回予告

 患者目線で書かれた闘病記3冊から、1:がん検診をうける心構え 2:自由診療の「がん治療」の現状 3:自分自身が認知症になったらどうなるか、という教訓を得ました。どちらかというと、医師という立場ではなく、患者という立場にたって読めたと思います。

 医師も60歳を過ぎれば、患者という立場にたつことも増えてきます。「医者の不養生」とはよく言ったもので、わたしの知人の医師でも「がん」になったり「認知症」になったりという話を聞くことが増えてきました。そろそろ患者になったときの振る舞いについて、医師も他人事ではないことを十分理解しておくべきだと思います。

 さて、ゴールデンウイークが終わり、いよいよ新型コロナウイルス感染症が5類になりました。次回は、ちょうどいいタイミングですので、新型コロナウイルス感染症パンデミック後半戦を扱った本の中から、『ルポ 副反応疑い死』『次なるパンデミックを回避せよ』『スピルオーバー』の3冊を選び、この先のワクチンの問題や新興感染症への対応を考えてみたいと思います。お楽しみに。