ペルソナ使い分け
平田オリザ、この人の言うことは面白い。演劇に還元して語るのだが、ペルソナを演じることと、その人になりきることとどちらがいいか?これまでの日本では後者、つまり誠心誠意タイプが誠意のある人間と考えられていた。しかし、その場その場のペルソナを上手に使い分けていくこと、そうでなければ、人生の多層性も開けないし、多文化社会で生きていくこともできまい。社員であったり、学会長であったり、夫であったり、父親であったり、息子であったり、それぞれが真の芯の自分と整合性を持っていなければならないと考えるととても無理だ。それこそ、多くの摩擦を生む。ペルソナ、演じる気持ち、そんな余裕が必要だろう。これは、学会でいいかけたことにも似ているし、平野啓一郎のディブという考えとも近い、のでは。