El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私のニッポン日記

 

 図書館本、サイデンステッカー「私のニッポン日記」(講談社現代新書)を電車で読了。アメリカ人が日本文化にはまっていく過程がおもしろい。荷風のからみで読んだのだが、たとえば今を生きている私にとっても、荷風が滅び行く東京を歩いて記録したときに比べればさらに異国人ともいえるようなものである。浅草が栄えていた時代・・ということか。なんとなく浅草に行ったとき実感と「浅草」という認識的なレッテルのずれを感じていたのだが、それはだれもが感じることなのだとわかる。源氏物語を完訳するなど、人はこのようになんらかの知的な営みをすることなく生きることはできないのであろう。私は何をしたらいいのか。