El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

我々はどこから来て、今どこにいるのか?(上)

絶対的核家族化がすすむ日本の未来もまた修羅?

これまで「最も新しい」と思われてきた「核家族」が、実は「最も原始的」であり、そうした「原始的な核家族」こそ「近代国家」との親和性をもつことが明らかにされ、そこから「アングロサクソンがなぜ世界の覇権を握ったか」という世界史最大の謎が解き明かされる。(文芸春秋社のPR)

かなり面白いが、理解には読み込みが必要。原題は「Une esquisse de l'historie humaine(人類史概要)」という固いものなので「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」といういかにも文春的なサブタイトルはかなり不適切で、きちんとした読者を遠ざけているのではないか、と思う。

議論の前提:家族類型

①核家族(父系性レベル0)・・・欧米(特に英米)。実はもっとも原初的な家族形態
②直系家族(父系性レベル1)・・・日本、ドイツ。長男相続。跡継ぎでない男子による産業力・軍事力の増大。
③外婚制共同体家族(父系性レベル2)・・・ロシア、中国。父と息子達(カラマーゾフの兄弟が典型)。
④内婚制共同体家族(父系性レベル3)・・・イスラム世界。交叉いとこ婚

歴史的なシークエンスは①→②③④(アダムとイブは核家族!、一周回ってアメリカも核家族、そして日本も今)。父系性レベルが高いほど女性の地位が低い男権社会。この家族類型に識字化がからんでくる。

原始的(訳文では「太古」)社会は「夫と妻と成長過程の子ども」が家族の単位であり子どもが大人になればこの家族を出て配偶者を見つけ新しい家族を作る、それが上記①であり、多くの動物でも見られる形態。

そこから農業の発明や言語・宗教など人類独自の文明・文化の発展によって、財産や権力の保持などの必要性から②③④というようなある種人工的な家族形態をとるようになる。②なのか③なのか④なのかは環境や歴史で変化する。①以外の形態の役割は流動性・不安定性を減らし社会が安定化することだが、その結果として安定はしているが不活発な社会となる。

本書の前半は②③④の社会の成り立ちと長所・短所を歴史的に解説。特に近代において②の直系家族における次男・三男の流動性が兵力や流動的労働力となって、ドイツや日本の隆盛につながったという話など面白い。

本書中盤は、ヨーロッパの近代化の軌跡としての、宗教改革から識字化→世俗化(宗教からの離脱)→出生率の低下→イデオロギー的危機→革命・ナショナリズムという一連の流れも腑に落ちる。同じ流れをこれからイスラム世界やアフリカ・インドがたどるのか?

後半は、イギリス社会の特殊性(ジェントリーによる土地所有下の小作人たちの存在様式が流動的であったこと?や産業革命で賃金労働が発達)による核家族化の進展。そして、その状況が持ち込まれたアメリカへと分析がすすむ。

アメリカではイギリスがルーツであることに加え、父系的ルーツを喪失した黒人の存在などの要素もあり、自由に移動する絶対的核家族が主体となる流動的社会が作られ、不安定ゆえに革新的・現代的たりえてきた。

そうした絶対的核家族の集合体で構成される国家を統治するためには民主主義しかないけれど、それはまたポピュリズムへ・・という流れを示唆して下巻に続く。

さまざまなテーマが複雑にからんでいるのでさらっとまとめることは難しい。また、フランス語的な複文、複複文が日本語になると、どうにも話が見えにくい部分もある。

日本では直系家族がまさに崩壊し絶対核家族化しようとしているように思う。田舎に残る直系家族のくびきとそこから遊離した都市生活の絶対核家族。直系家族の名残を惜しむ親世代と核家族化した子供世代。日本の不安定化のひとつの原因か・・。そういう思索の端緒になる本。(古書購入本)