三連休で「グールド魚類画帖」に耽る
最近、新装版が値上げされて出たけれど、旧装版で。三連休で読了する予定。
「グールド魚類画帖」のモチーフである魚類画集は実在しており電子化されて最初に出てくる光輝く表紙も含めてネットで鑑賞することができる。その事実がすばらしい。↓
これ以外のタスマニア開拓(侵略?)当時の写真も実に興味深い。
予定通り、3連休の3日目の夕方16:30、400ページを読み終えた。タスマニア舞台のマジック・リアリズム。解説を読むと多くの史実を踏まえているらしく、その史実とは、
- 1770年、クックがオーストラリア大陸東岸部のイギリス領有を(勝手に)宣言。
- 1788年、初代総督アーサー・フィリップ率いる11隻の船団が750人の囚人を含む1300人余りの入植者とともにシドニー湾に入り入植を開始。
- 1803年 主人公グールドがリバプールで生まれる。この年、舞台となるタスマニアの領有を宣言。
- 1827年 衣服を盗んだ罪でグールドはタスマニアに流刑に。イギリスで産業革命が進んでいた時期で機械化により失業者・浮浪者があふれ刑務所も満杯。その解決と植民地開拓のため微罪でもどんどん流刑になっていた。流刑になる前に絵の修業をしていたグールドは植民地医師の下僕となり植物や魚の絵を残し、1853年50歳でタスマニアのホバートで死去。
19世紀の前半のオセアニアはイギリスによる征服の時代で、アボリジニの虐待・虐殺・奴隷化は普通の出来事だった。微罪者もいるとはいえ、そこは囚人のイギリス人が入植してくるわけだから、ラテンアメリカとはまた違った地獄と言えばよいのか。
- タスマニアのアボリジニの頭部をイギリスに送り、脳の構造が白人とは違う、つまり白人以外は構造の上でも劣等の生き物であるという(同じことが明治期の日本でも、アイヌの墓をあばいて行われたという事実もある・・)、今から考えたら狂気じみた研究が褒めそやされていた時代でもある。
こうした史実を巧みに組み込んでいるのだが、あまりにも巧みでフィクションのように読んでしまう。「アボリジニの劣っていて好色な頭蓋骨」と論文に書かれたものが、実際は白人医師の頭蓋骨だった・・・というのはフィクションなのか事実なのかよくわからない。
著者のフラナガンも数代さかのぼれば流刑者らしい、そういう自己アイデンティティを持っているのか、オーストラリア人。
後半、主人公グールドの意識の中で多くの人格が入れ替わっていく?あたりから、ストーリー的には混沌としてくる。もう一度頭から読むことも考えるが、今は一度この世界から離れたい・・・