El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

フォンターネ 山小屋の生活

山小屋暮らし。

「帰れない山」のパオロ・コニエッティの山小屋エッセイ。このブログのタイトル「ファオンタナの本棚」に通じる「フォンターネ(村の名前)」にもひかれて読んでみた。

この本のカバーに「スマホを捨てよ、山へ出よう。」とキャッチコピーが書かれている。あざといという感じもするコピーだ。

現代のたとえばスマホやネットにどっぷりと浸かった生活。それ以前、たとえば2000年になる前は、スマホはもちろんなかったしネットも何か特別な事情があって使うものだった。それでも不自由はなかったのだが、今の生活でスマホやネットが使えなければ結構不自由な気がするのはなぜだろう。

社会がスマホやネットの存在を前提にした社会になってしまったということだろうか。もちろんスマホもネットも無関係な老人も生活しているのだから生活の根本にスマホやネットがなくても生きていけないわけではない。しかし、スマホもネットもフルに使っている生活に比べて、そうしたものに無縁の生活はひどく不便のような気がする。実際問題として企業も政府もネット使用を前提として、ネットの恩恵をうけてコストダウンをはかっているので、スマホもネットも使わないというポリシーは「反社会的」と言われかねない。まあ、電話が普及した後の時代から電話のなかった時代を回想するようなものなのだろうか。

一方で、電話の普及でいつでも連絡が取れるようになると自分の行動が筒抜けになり自由にサボったりできなくなったーそんな変化はスマホとネットでも起きている。

「時には間違いを犯す自由も含めてー、自らの運命の主でいること」(P94)

などと、自分のデジタル・ビージーな生活を反省しながら南アルプスに思いをはせる。