El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ロング・グッドバイ

「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」

80%は、Audibleで聴きました。最後の100ページは本を読みました。

創作物の内容はともかく、村上春樹の文体は耳障りが良いだろうという推測で、村上春樹訳のチャンドラー「長いお別れ」をAuibleで聴いてみることに。現在、朝・夕各30分の徒歩通勤をしているので、聴いて理解しやすいこと一定の長さがあることなどからチョイスしてみた。

なんて、読む前に書きましたが、まあだいたい当たっていた。訳者解説が充実していて50ページもある。そこに村上春樹自身が書いているわけで、チャンドラーやフィッツジェラルドの小説を読んだ時に感じるリアリティの欠如は、そういう手法だってことか・・それがまさに村上春樹を読んだ時にもある空虚感につながる。

心情や心理を解説的に書くことなく行動をつなぎ合わせて表現するという手法なのだが、どうしても浅く流れてしまう(読んでしまう)のは、書き手と読み手の温度差ということなのか。なんだか芯のないファンタジーだと感じてしまうのは読み手のせいなのか。そんなことを考えてしまった。

それにしてもAudibleで聴き始めて20日。まあ、朝夕の徒歩通勤(一日50分程度)ではしかたがないが、何となく元がとれないことがわかってきたAudibleのサブスク。

賭博場に関する科白に膝を打った・・大阪のIR賭博場、大丈夫か?

賭博が法律で認められている限り、やくざを押さえ込むことは誰にもできない。そのかたちや規模を問わず、賭博が存在する限り、やつらははびこるんだ。