El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

Nさんの机で

ホッとする机回りのしみじみエッセー

Nさんの机で

「石の肺 僕のアスベスト履歴書」だけを読んだことがあって、そういうルポライターなのかと思っていた佐伯一麦(さえき・かずみ)氏は、実は、私小説・純文学作家。なるほど、自分の体験をルポルタージュ風にまとめることと私小説は同じ作業なのかも。

山形の地方新聞に連載されていた、佐伯氏が身の回りの「もの」をテーマに語りながら、その「もの」の来歴やそれに関わる人間関係をしみじみ語るエッセー集。佐伯氏は1959年生まれでほぼ同世代なので、同世代あるあるで読んでいて懐かしい。

全体にわたって登場する高校時代からの親友が連載中に急死(それも自死)したというちょっと驚くような出来事も書かれているので単に淡々としたエッセーに終始するわけでもない。その親友の影響を受けていたオーディオ機器の話など興味深い。真空管アンプを点灯したときのボワッと明るくなっていく中に思い出が・・・。

桜の開花を心待ちにするのと同じように、鶯の初音、青葉木菟、ジョウビタキ、センダイムシクイなど渡り鳥の啼き声、それから庭で育てている合歓や椿の花が咲くのを待ち受けながら暮らしている定点観測のきっかけとなった・・・P168

すぐれた職人だと感じさせる人に共通しているのは、皆自分をその道の専門家だとは思っていないということだった。(中略)自分の仕事はそのまま自分の人生となり、話をするときは自分の人生の話をする。・・・P203

 

私自身もだんだん身の回りの「もの」の中には単なるモノではなく人生の中で一定の重みをもってきたものがある。日記から拾ってみると、例えば...

  • 聴診器・・・今年から25年ぶりに患者の診察をすることになって、医者になったときに買った聴診器を使っている。膜になっている部分はプラスチックで劣化して割れてしまっていたが、交換用のパーツをAmazonで購入して装着したところ十分に使える。医者になったのはS58なので、この聴診器は39年前のものということになる。医者になって研修医から大学院生、臨床医と14年間過ごし、その後会社員となって25年の間もなんとなく手元に置いておいたのは医者であることのアイデンティティを示してくれるような気がしていたからであろう。いまは回診するときの実用という意味もあるが、やはり医者であるというメルクマールとして使っているかな。
  • レコード・・・これはもっと古くて中学後半から高校時代に買ったもの。実家に残されていたのを実家仕舞したときに回収した。天地真理のデビューアルバムが一番古く、彼女のデビューは1971年とあるので50年以上前のものということになる。最近レコードを聴く環境ができたので聴いてみたところちゃんと聴ける。それどころかアンプやスピーカーは今持っているものが人生において最良のものだから、このレコードも今鳴らして聴いているのが人生最良の音ということになる。古い酒を新しい革袋に入れたらおいしかったような不思議な感覚。
  • カシミアのマフラー・・・大学に入ったときにお祝いがてら叔父(母の弟:故人)にジャケットを仕立ててもらった際にオマケとしてカシミアのマフラーをつけてくれた。それがなぜか今もマフラー類の引き出しに入っている。20歳頃のものなのでこれは45年前のものということになる。母の兄弟も男は皆故人となった。そして、2000年にボストンに出張したときに彼の地で買った大振りのマフラーもついこの間と思っていたらもうあれから23年とは・・・