El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ベッドルームで群論を

グルーブ感のある科学エッセイ

よくジャズの曲や演奏で「グルーブ・Groove感」という言い方をするがそれっていったい何だろう?と思っていた。グルーブについてBRUTUSの山下達郎のインタビューの中に書かれていて、曰く、その楽曲の作り出す世界観の中に(言わばマイクロコスモス:小宇宙の中に)入っていく感じ。自分が楽曲の外側に居るのではなく、聴いている自分がその楽曲の作り出す世界に入っている感じ。それがグルーブ、たしかに山下達郎のCDを聴いていると演奏している姿や歌っている姿が浮かぶのではなく、その曲の作り出す世界に入っていく感じがある(このことを山下達郎は「スタジオが見えない」と言っていたし、山下達郎がビジュアルをあまり出さないこととも関係するだろう)。

落語や映画でもグルーブ感があれば没入感・臨場感がある(同じことを言っているだけか?)。一方で「トップガン・マーヴェリック」のようにグルーブ感オンリーでは映画館を出たとたんにすべてが消えてしまうわけで、グルーブ感のほかに心に残る何か(それは例えば、コンセプトや思想)が味わえる作品が傑作なのではないか。

ちょっとした(例えばこのレビューのような)文章でもグルーブ感が大切で、読んでいると一瞬文章世界に取り込まれたような感じが味わえれば、味わせることができれば、と思う。

さて、本書「ベッドルームで群論を」はまさにグルーブ感のある科学エッセイ12編

https://www.msz.co.jp/book/detail/07548/

  1. ベッドルームで群論を:マットレスを一定の操作でひっくり返し、マットレスがとりうるすべての配置を順繰りに実現する方法はあるのか? 群論は、「マットレス返しの黄金律」が実はこの世にないことなど、興味深い事実を教えてくれる。(難易度☆☆☆、オモシロ度★★★)

  2. 資源としての「無作為」:「無作為(ランダムさ)」が枯渇するかもしれないとは、ふつうは考えられていない。非常に質の高い「無作為」は有益であり価値もあるのだが、困ったことに、わたしたちは無作為を生みだす術を知らない。では、無作為をどうやって入手する?(難易度☆☆、オモシロ度★★★)

  3. 金を追って:金持ちはさらに豊かになり、貧乏人はさらに貧しくなる。それを裏付ける事実には事欠かず、そこに抗いたがい物理法則があると思えてくるほどだ。わたしたちの直感が当たっているかどうか、富の分配をシミュレーションしてみよう。(難易度☆☆☆☆、オモシロ度★★)

  4. 遺伝暗号をひねり出す:DNAの二重らせん構造の解明以降、生物学者たちは「遺伝暗号」解読のパズルにこぞって取り組んだ。わたしはその当時の研究に魅せられた……理論家たちが編みだしたエレガントな暗号にくらべれば、本物の遺伝暗号のほうが見劣りするほどだ。(難易度☆☆☆、オモシロ度★★★★)

  5. 死を招く仲違いに関する統計:ルイス・フライ・リチャードソンによる武力衝突の数学の研究によれば、戦争は気体分子の衝突のようにランダムで、いつどこで起こるかをあらかじめ知ることはできないが、長期的に見ればいくつくらい起こるのかはわかる。(難易度☆☆、オモシロ度★★)

  6. 大陸を分ける:北米大陸を横断するときに、分水嶺が最も高い地点になるとはかぎらない。だとすると、分水嶺を分水嶺たらしめているのはいったいなんなのか。幾何学的なものなのか、それともトポロジー的なものなのか。(難易度☆☆、オモシロ度★★)

  7. 歯車の歯について:計算の歴史において、歯車がいかに重要だったかは想像にかたくない。しかし、歯車の歴史において計算がどれほど重要だったかは、あまり知られていない。歯車の歯の数を計算するアルゴリズムを模索した、時計職人たちの思考の跡をたどる。(難易度☆☆☆、オモシロ度★★★)

  8. 一番簡単な難問:n個の整数を2組に分けて、2組の整数の和がなるべく近い数になるようにする。子どもたちが力の拮抗する2つのチームを作るのにも似たこの課題は、実は「NP完全」という、難しいことで悪名高い問題に分類されている。(難易度☆☆☆☆、オモシロ度★★)

  9. 名前をつける:物に名前をつけたり番号を振ったりする作業は、今や大きな頭痛の種となっている。いろいろなものの「名前空間」が、すでに満杯になりつつあるのだ。それに、名前のつけ方にうまい下手があるのなら、やはり賢明な名前をつけたいではないか。(難易度☆☆、オモシロ度★★★)

  10. 第三の基数:人間は10ずつまとめて数え、機械は2つずつまとめて数える。それらほど広く知られておらず、使われてもいない3進法には、実はユニークな利点がある。さあここで、3進法のすばらしさをご堪能あれ。(難易度☆☆☆、オモシロ度★★★)

  11. アイデンティティーの危機:等号 = の意味は、一見明快なように見える。しかし、同一や均等といった概念の微妙さは、ときとして数学の世界に問題を引き起こす。またコンピュータの世界では、2つのものを「同じ」にするにも、それを確認するにも技術が要る。(難易度☆☆、オモシロ度★★★)

  12. 長く使える時計:長期的な視点でものごとを考えるのは難しい。実に一万年使えるストラスブールの時計は、どんな展望をもって作られたのだろう。人が「未来の世代のため」に語るとき、それは誰にとって望ましい未来なのか。(難易度☆、オモシロ度★★★★★)

どれも結構難しいことが書いてあるのだがグルーブ感は確かにある。まずは最後の「長く使える時計」を読むのが親しめる近道かもしれない。こんな文章を書きたいと思いながら・・