El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

現代カタストロフ論

50年たつと過去の過ちを忘れてしまうだけ

カタストロフ理論は1970年代~80年代に小さなブームがあったが、結局のところこの本がそうであるように、社会科学や人文科学で杜撰な使い方をしたために廃れてしまった理論。それから50年たって、社会の混乱やコロナをカタストロフ理論で解き明かすという本がでるのは、歴史の無視感・既視感に驚く。

たぶん、50年もたつと「そんな理論はダメだった」という歴史自体が忘れられて、「カタストロフ理論いいじゃん」というお調子者が現れるということだろうか。そして、数学的理論をテキトーに社会学や経済学に定性的に重ね合わせて、50年周期がどうのこうの言っているのは、50年という時の流れが符合していて、それはそれでおもしろい。まさに「50年周期のカタストロフ論」ではなく「50年周期の忘却の理論」といったほうがぴったり。

本書中にあるウイルスの変異やがん細胞の変異の理論は進化生物学で具体的に解明されてきており「カタストロフ理論」を持ち出す必要はあまり感じない。新型コロナの変異株による感染爆発の波と景気の波を重ね合わせて「現代カタストロフ論」というのはちょっと無理筋すぎる・・・と思う。