El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

菊帝悲歌 小説後鳥羽院

隠岐に流されてからの人生が味わい深い

後鳥羽上皇と言えば、まさに「鎌倉殿の13人」のラストで承久の変を起こし北条時宗・泰時に敗れ、かろうじて残っていた天皇家という権威に終止符を打った人物。一方で、ドラマでも描かれているが和歌に秀で、囲碁・双六・蹴鞠だけでなく弓・馬など武張ったこともそつなくこなすいわば万能の人だったようだ。

その後鳥羽上皇をこよなく愛した昭和の歌人・塚本邦雄が美文調で描き上げたのが「菊帝悲歌」。「鎌倉殿・・」の評判を受けて再刊されたのか。

ともかく美文です。古典文を少し読み下したような文章なのだけど、表現されていることはわかるものの、文章そのものに本歌取りが仕込んであるのだろうがそこまでは浅学な読者としてはわからない。吟味に吟味を重ねて書いているのだろうな、ということはわかる。

そして徹頭徹尾、後鳥羽院を中心に、その中でも新古今和歌集の編纂(誰のどの歌を入れてどの歌をはずすかなど)を巡っての院の歌の好き嫌い、人間の好き嫌い、行動様式の好き嫌い・・・周囲はそれに振り回され、定家は敬遠され。

万能感に溢れていたのだろうか、わがままがなし崩し的に鎌倉憎し、北条義時憎しになって、軽い気持ちで叩こうとしたら全く歯が立たなかった。で、いとも簡単に隠岐島に流されてしまう。

この上皇を鎌倉殿の御家人にすぎない北条義時が島流しにするというのは、昭和の陸軍がクーデターに成功したようなもので日本史におけるターニングポイントだとは思うが・・・そこは本書ではさらりと流す。

むしろ、後鳥羽院の隠岐での生活、都との人や物の往来、それらから知る定家の盛隆、そして北条義時の死、政子の死、という淡々とした時間の経過が描かれる最終章に癒されるー「諦めて生きれば生きられるもの」。物語はその後の後鳥羽を描かずに終わる。・・・どこまでも美文。