El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

科学にすがるな

パブリックに生きよ、人間を磨け

1938年生まれの理論物理学者・佐藤文隆氏に艸場よしみさんというフリー編集者がインタビューしたものをまとめたもの。宇宙や素粒子のことがよくわかっている物理学者に尋ねれば、生きること・死ぬことについて大所高所からの(そして一般人にもわかりやすい)考えを教えてもらえるのではないか・・・という方向性。

もちろん、そんなことはわかるはずもないのだが、どうしてわからないのか、という理解の中で、サイエンスと社会と個人の関係性が浮かび上がってくるというしかけになっています。

サイエンスのような純粋に記述可能な世界(第1世界)、それを個人が認識する第2世界、それから人間の歴史や文化でつむぎあげてきた社会(第3世界)。死は細胞が機能しなくなり元素に還り・・・という第1世界の出来事でもあるし、社会的には自己の喪失あるいは、他者の喪失という出来事でもある。この第1世界の現象と第3世界の現象に個人(第2世界)は片足ずつ突っ込んでいるような状態。そのため、人間個人は第1世界と第3世界の間で右往左往する。

サイエンスでの学びとそれが社会にどう関わるのか、そこらあたりをきちんと分別して理解しておくことが大事。佐藤先生は第1世界で研究成果を上げたことの記念碑的なものが第3世界に残せるように自分を磨くことを目指しているとおっしゃる。

自分の問題として考えた場合、物理的な死は職業柄わかるが、社会的な死は当然よくわからないわけで、それはそれでしかたがない。