勢古さんとは、なぜかウマが合う
人生の10年先輩、勢古さんの本とは長い付き合いだ。彼を追いかけるように自分も60になり65になりということで、だれもがその歳になったら考えてしまうことを同じように考えて、結局は時間の流れに流されていくことも、後を追うのだなあ。
この本、最初は2006年に出ているので勢古さん60歳ころの本。古今東西の人生論を読んでぶった切るというか、お得意の戦法。数々の人生論で私が読んでいるのは4分の1くらい。結局、何パターンかの似たり寄ったりなんだな・・・やっぱり、ということがわかる。そりゃあ、そうだ。
人生に極意などない、ただ生きていくだけだ。そこに意味や物語をのっけるという方法論は数々あるが、森で暮らそうが、庭いじりをしようが、エッセイを書こうが、いずれは死んで消えてなくなる。
「結婚して子供を産み、そして子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値ある存在なんだ。」(吉本隆明「自己とはなにか」『敗北の構造』弓立社)・・むむ
最後にいいこと書いている。人生の不文律は三つ。他人の真っ当な人生を邪魔するな。望まれてもいないのに介入するな。他人の人生を嗤うな。