El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ツボちゃんの話 夫・坪内祐三

女たちに描かれる坪内祐三(去る者は日日に疎し・・・)

2020年1月に病死した坪内祐三との生活を妻である佐久間文子が一冊の本にしたもの。坪内祐三の伝記と言ってもよく、これまで出版されていた坪内の著作や前の妻・神藏美子の写真+エッセイ「たまもの」が、彼の人生のどういう時期にどう位置付けできるのかを知ることができる。

その死の前後とくに監察医務院での司法解剖、2000年に新宿でヤクザにボコボコにされて入院・手術を受けた事件、「たまもの」でも曝露された坪内ー神藏ー末井昭の三角関係、そこに妻として入っていく著者の佐久間など、坪内祐三の人生の軌跡をなぞることになる。

で、結局どうなんだろう。去る者は日々に疎く、坪内祐三が書いた文章もやがて誰も目にすることはなくなるだろう。それは例えば、本書に少しだけ登場する大御所・丸谷才一であっても同じことだろう。文学だけに限ってみて漱石・鷗外・藤村のように残り続けるのは戦後作家では誰?いやもう残らなくてもいいのか。同時代で消費されてしまう、それでいいような気もする。そういう時代。

散文精神(広津和郎)「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神」(P35)という一節を坪内祐三が好んでいたということだが・・・彼の人生そのものはやや破滅的でドラマチックだった。してみれば散文的の反対語は韻文的ではなく戯曲的ということのかも。