El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私とは何か 「個人」から「分人」へ

『マチネの終わりに』の蒔野と洋子の愛とはなんだったのか?その相手といるときの自分、について考える。

大仰な哲学書のようなタイトル。しかし内容は、「自己」「他者」「人間関係」などを「自分中心」の視点から見ていてはわからない・息苦しい。そんな思いがほぐれる「分人(dividual)」という考え方をとてもやさしく説いた本。

「自分の中に自己という固まりがあって、それが他者と人間関係を持つ」、いわゆる個人主義を脱し、「自分と他者の間に、他者ごとに生み出される関係性があり(それが分人)、その関係性の集合体が自己である」という分人主義の効用を説く。

自他の関係性のとらえかたとしてはコペルニクス的な転回で、確かにすーっと楽になる感じはある。一方で、自己という核への執着もそう簡単には捨てられないという思いもある。

一旦は、平野啓一郎の哲学として受け取り、彼がこの哲学を小説として表現したものを読むことでもっと腑に落ちていくのではないかという期待はある。

「マチネの終わりに」で描かれた複線的な男女関係の理解・整理だけではなく、例えば仕事で付き合わざるをえないどうしてもイヤな奴との関係をうまく凌ぐ方法論にもなるかもしれない。

65歳になってもものの見方を変えられて、それでその先の人生が楽しくなるということがあれば幸い。若い才能が、老いた人生の過去認識を変えてくれるかもしれない。