El librero la Fontana

El librero la Fontana・ホンタナ(いずみ)氏の本棚「人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ 」(アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

医師が死を語るとき 脳外科医マーシュの自省

患者の死・筆者の死・そして読者としての私の死を巡りながら味わう自伝的エッセイ

「安楽死が認可されていない場合に私たちが迫られる選択は、すぐに悲惨な死を迎えるか、数カ月以上先のばしにして、後日悲惨な死を迎えるのかのどちらかということになる。驚くには値しないが、私たちのほとんどは後者を選択し、どれほど不快なものであっても治療を受ける」

脳外科という特殊性もあるが、状況によっては「いま死なせたほうがいい」という状態も多い。そこをどうにかしたいという気持ちと安楽死はできないという気持ちのせめぎあい。いたずらに生命の延長だけを求めて、結局は患者や家族や、そして医療者・介護者も消耗する、そんな現代医療の抱える矛盾の実例が繰り返し繰り返し描かれる。

NHSの官僚主義や非効率に辟易し、65歳になってロンドンの公立病院を辞めたマーシュは、その後、終の住処として選んだオクスフォードのコテージをセルフビルドしながら、ネパールやウクライナの弟子たちのもとに脳外科の手術指導に行く。

それらの国・地域にはそもそもの政治の混乱があり、それが医療にも大きく影をおとす。ネパール内乱や地震などは最近のことだとは、知りませんでした・・・(すみません)。

全体として皮肉や自虐も多いが、それが逆に滋味あふれた老年期医師の生き方論になっている。最後のパラグラフは自分のこととしても肝に銘じたい。

「終わりを待つような真似はしないつもりだけれど、そのときが来たときに、去っていく準備がしっかりできていることを願う。もう少しのあいだだけ元気でいられたら、幸運にも(過去、現在、そして未来の)家族の一員でいられたら、まだ役に立つ存在でいられたら、そしてなすべき仕事があるならば、私はそれで十分だ。」

 

抜粋

    • 去るのが遅すぎるよりは早すぎる方がいい。人はよくそう言う。職業上のキャリアでも、パーティでも、人生そのものでも。けれども、重要なのはそれがいつになるか、わかっているということだ。P38
    • キャリアが終わりに近づくにつれ、このような患者に対する、そして大きな失敗のリスクに対する自分の熱意が急速に薄れてきていることに、私は気づきつつあった。P41
    • 実際に仕事をしている時間よりも、仕事の話をしている時間の方が多くなった。P45
    • 脊椎インプラント手術は大手術であり、合衆国では年間60億ドルの巨大ビジネスになっている。これは現代のヘルスケアにおいて大きな問題になりつつある「過剰医療」の典型例であり、・・P49
    • 「この子は死なせて、別の子を作りなさいと両親に言えたらいいんだが」って、でもそんなこと言えるわけない。P134
    • スーダンやネパールなどの貧しい国では、私立の診療所や病院が爆発的な勢いで増えている。主にかってのイギリスモデルに基づく専門家協会は脇においやられ、効果的な専門的水準の維持はますます失われている。P151
    • プラセボ効果とは逆の「ノセボ効果」の自発的な、そしておそらく不幸な犠牲者なのだ(医療訴訟をすることで、症状が重くなること)
    • (医療訴訟産業について)人的損傷の補償という一大産業の一部なのだ。P180
    • 知ることによって学ぶことよりも、やってみることによって学ぶことの方がはるかに大きい。P188 
    • ひとたび患者に責任を負う立場になると、私たちは必ず自分を偽るようになる。P264
    • けれども、失敗から学ぶことができるのは失敗を認めた時だけだ。同僚や患者に認めなくても、少なくとも自分自身に対しては、失敗を認めることが必要である。P265
    • 患者の話を聞くことがいかに重要であるかについて、そして患者との話し方を学ぶことがいかに難しいかについても話をした。私たちの話し方がよいものであったか、患者が教えてくれることはめったにない。私たちの気分を害してしまうのでないかと心配になるからだ。物事をよりよく行う方法を学ぶことのとても重要な部分である、否定的なフィードバックや批判を聴く機会が私たちにはないのである。P269
    • 年齢を重ねるごとに、新たな症状がいろいろと出てくる。走ると左の股関節が少し痛む。・・・私は医者だ。なので、こういった症状が意味するものも、それらが年を重ねるごとに悪化していくことも、よく知っている。また遅かれ早かれ重篤な病の最初の兆候が現れ、それが最後の病になるかもしれないことも知っている。きっと最初のうちはそういった症状を無視して、やがてなくなることを願うのだろう。けれでも心の奥では、怖くて仕方がないはずだ。P272
    • いのちはその本質からして、終焉を忌避する。まるで自分には未来があるといつでも感じるための希望が私たちのハードウェアに組み込まれているかのようだ。P286
    • 先進国では生涯医療費の75%が人生の最後の6か月間に発生するという推定がある。P288
    • 終わりを待つような真似はしないつもりだけれど、そのときが来たときに、去っていく準備がしっかりできていることを願う。もう少しのあいだだけ元気でいられたら、幸運にも(過去、現在、そして未来の)家族の一員でいられたら、まだ役に立つ存在でいられたら、そしてなすべき仕事があるならば、私はそれで十分だ。P293(Last)