El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

模倣の罠 自由主義の没落

冷戦が終結して共産主義が自由主義に敗北。自由主義ワールドが世界的に広がっていくのか(いわゆる「歴史の終わり」)と思ったが、そうはならなかったのは、現在(いま)を生きる我々がもっとも切実に感じるところ。

  • 一旦は自由主義に向かった中欧・東欧、さらには西欧の一部にまで権威主義的ポピュリズム、あるいはナショナリズムがひろがってきたのはなぜ?
  • ロシアの民主化が今のプーチン政権とどうつながる?
  • トランプや習近平はどう関わる?

多くの疑問の答えになるかもしれない本。非常におもしろいが重層的すぎて、すぐにはうまくまとめられない。ネット記事を追うことで理解は深まるかも。訳文が硬いので最初は違和感があるがそのうち慣れる。

第1章 模倣者の精神「中東欧:西欧模倣への不満からのナショナリズム・ポピュリズムの時代」

第2章 報復としての模倣では「ロシア」。ロシアは自由主義ー民主主義をやってるふり(模倣)をしてなんとか危機の時代をやり過ごし、逆に自由主義国のやり口(ユーゴやイラクなど)を模倣して、グルジアやクリミアそしてウクライナへ。

第3章 強奪としての模倣では「トランプ」。自由主義陣営の大統領トランプが東欧やロシアの権威主義的ポピュリズムを模倣!?

終章 ある時代の終わりでは「中国」。イデオロギー論争からは離れて、自由主義陣営からの盗用で巨大化。強権政治と自由経済のミクスチャー。

ラストから引用(強調筆者)

自己を隔離しながらも世界に対して自己主張する中国の台頭は、冷戦での西洋の勝利が意味したのは共産主義の敗北だけではなく、啓蒙思想に基づく自由主義そのものの大きな後退だったという深い教訓を与えている。自由主義は政治的、知的、経済的競争を賞賛するイデオロギーであり、競争相手を失ったことで致命的に弱体化してしまった。(P295)

「模倣の時代」の終わりは、・・・・多元的で競争的な世界への回帰である。そこには、自国の価値体系を全世界に広めようとする軍事的、経済的な権力の中心は存在しない。そのような国際秩序には、決して前例がないわけではない。「世界史の主要な特徴は文化的、組織的、イデオロギー的に多様であることで、同質性ではない」からだ。この観察が連想させるのは、「模倣の時代」の終わりは不幸な歴史的例外の終わりだということである。(P296)

「模倣の時代」の終わりが悲劇をもたらすのか、あるいは希望をもたらすのかは、自由主義者が冷戦後の経験をいかに理解するのかにかかっていると信じている。私たちは、世界を支配する自由主義の秩序が失われたことを永久に嘆くことができる。あるいは、様々な政治的選択肢が不断に競い合う世界への回帰を祝福することもできる。非難を受けた自由主義が、世界を支配するという非現実的で自滅的な野心から立ち直り、二一世紀にももっともふさわしい政治的理想であり続けていることをはっきりと理解しながら。

私たちは、嘆くことではなく、祝福することを選択する。(P297)

下記の書評がよくまとまっている。日本を振り返れば、そもそも権威主義的で1945年の敗戦以来自由主義を模倣したり盗用したりしているのではないか・・・と私は思う。