El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

推し、燃ゆ(Audible)

東横キッズになっていくの?

アイドルファンの応援行動が先鋭化して「おっかけ」なんて呼ばれた時代もあったが、今はそれらを含めたトータルな言葉が「推し」。若い女性のライフスタイルの一部に「推し活動(推し活)」はすっかり根を下ろしている。ダイソーあたりに行けば「推し活」グッズコーナーもある。

普通の子は「推し」を趣味の一つとして楽しんでいる。「学校活動」「部活」「バイト」と並列に「推し活」がある。まあ、それって昔からそうだったよね。

この小説の主人公(あかり)は、「推し活」以外はほとんどできない、そんな発達障害っぽい高校生。「推し活」に特化したサヴァン症候群みたいなものか。姉はまともっぽいが、父も母も普通ではない。死んだ祖母のエピソードも何か不穏な感じ。

昔だったら大家族の中でこんな「こまったちゃん」を抱え込んでどうにかこうにかしていたんだろうね。核家族では抱え込めずに主人公の孤絶は深まり、さらに「推し」へと。

その「推し」くんが、事件おこして炎上して、芸能界を引退して、主人公の「推し活」がダメになりそうな中で、どうする・・・というところで唐突に終わる。

東横キッズにでもなるのかな。そう考えると、東横キッズって、社会が不寛容になった結果として居場所のなくなった子たちなんだと理解。芥川賞の選考委員はそこまで読んで選んだのかも。

「推し活女子高生」にとっての「推し」、「コンビニ人間」にとってのコンビニ。不自由さを抱えた人たちの人生のものがたり。芥川賞も社会を反映する。