El librero la Fontana

El librero la Fontana・ホンタナ(いずみ)氏の本棚「人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ 」(アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

続・私の本棚 (12)死因究明制度の「闇」

医師も他人事ではない…日本の死因究明制度が抱える「闇」

還暦過ぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのセカンド・シーズン「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学」です。

今回のテーマは、「日本の死因究明制度」。テレビドラマでは女性監察医を主人公にした事件もののドラマをよく目にしますが、まるでアメリカの検死官制度が日本にもあるかのようなストーリーで現実とはかなり乖離しています。

ドラマの視聴者は日本の死因究明制度をそれなりに整備されたものだと思ってしまうのかもしれませんが、その実態は驚くべきものなのです。(ちなみにファースト・シーズン「私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」はこちら

ジャーナリストが伝える死因究明制度の実際

「日本の死因究明制度がいかにダメか」というテーマの本はこれまで何冊か出版されていますが、その多くは歯切れの悪いものです。これらの本は法医学医師(多くは大学の法医学教室の教授・元教授)が退官前後に書いたケースが多く、著者自身が当事者の一人であるからでしょうか。

そこで今回の1冊目には、調査報道に携わる国際ジャーナリストの山田敏弘氏が書いた、「死体格差 異状死17万人の衝撃」を選んでみました。著者が医師ではないので、これまでの死因究明本とは一味も二味も違う本です。

章ごとに紹介しますと―――

第1章 日本の死因究明に関する基本的な事実異状死体(まあ病院外で発見された死体と考えてもいいでしょう)が発見され警察に通報されると、まず警察官の中で検視官資格をもつものが目視による検視を行います。その時点で「事件性がない」と判断された場合は、地域の開業医で警察と協力関係にある医師(警察医)が死体の検案(主として表面観察)を行い、「心不全」などの死因を記載した死体検案書が作られます。そしてその後、葬儀・火葬となります。

検視官は警察官なので医学的な死因究明の知識はほとんどなく、この検視官-警察医ルートの死因決定はかなり形式的なものだというのが実情です。

一方、検視官が「事件性あり」と判断すれば死体は司法解剖に回されます。この司法解剖に回すかどうかのハードルは地域によって異なります。監察医制度が機能している東京23区・大阪市・神戸市はともかく、それ以外の地域では大学の法医学教室に依頼することとなるので、そのハードルはかなり高くなります。そのため、少々事件性が疑われても上述の検視官-警察医ルートで死因が決められている現実があります。

異状死体の解剖率は東京都が17.2%ですが、最低の広島県では1.2%しかありません。この地域差がそのまま「犯罪の見逃し」につながっています。さらに、以下の章では実在の法医学者のインタビュー記事をもとに、日本の死因究明の諸相が描かれます。

第2章 大野曜吉・元日医大法医学教授 警察官である検視官が事件性の有無のキャスティング・ボードを握っているため、警察が描いた事件のストーリーに沿った判断をしてしまいやすく、それが「犯罪の見逃し」と「冤罪」につながることを強調しています。検察が自分たちに都合のいい鑑定結果を持ち出してくるのは日常茶飯事のようです。

第3章 岩瀬博太郎・千葉大法医学教授 「日本の法医学は科学的というより、警察の意に沿わされてしまうほど未熟…」特に問題となるのが、犯罪の見逃しと同じ問題意識です。警察庁が2011年に公表した「犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方について」によれば、1998年から2011年までに発覚した死亡ケースで犯罪を見逃した件数は、時津風部屋事件、後妻業事件など43件。これはのちに別件などから発覚したものなので、実際の見逃しはこれよりもかなり多いと思われます。そもそも法医学者のところに異状死体が持ち込まれない制度に問題があります。

そこを改善するため、2013年、「死因・身元調査法」により制度として遺族の承諾を必要としない新しい解剖制度「調査法解剖」ができました。しかし、実態は制度だけで法医学的受け皿は何も手当がないという悲しい現実があります。

極めつけは、当時の警察庁刑事局長(金高雅仁氏)が問題のある神奈川県の解剖医(第6章)を視察し、10万円程度で短時間に多数の解剖を請け負っている姿を賞賛。それを基準に調査法解剖の実施を指示するという、とんでもない判断です…。

第4章 奥田貴久・日本大学法医学教授 アメリカで著名な日本出身の法医学医、トーマス・野口のもとに渡り、アメリカ流の検死官制度を学んだ奥田氏によれば、アメリカでは警察からまったく独立した検視局があり、そこで働く医師の給与も高いようです。ドイツ流の警察主導で行う死因究明の上に戦後アメリカに監察医制度を持ち込まれた日本では、監察医制度が機能しているところ(東京23区・大阪市・神戸市)とそれ以外の地域との差がとてつもなく大きいのです。

第5章 清水恵子・旭川医科大学法医学教授 テレビドラマの法医学者は女性が多いですが、現実の世界でも清水先生のように女性の法医学医が増えているようです。司法解剖により冤罪であることを法医学的に証明すると、ネット掲示板やSNSなどで社会から言われのない非難を受けるという話には恐ろしいものがあります。

第6章 世界一の解剖数をこなす横浜の監察医「横浜監察医務研究所」の医師(匿名)神奈川県では法医解剖の費用を葬儀社経由で遺族に払わせており、たびたび問題になっています(神奈川問題)。その制度をいいことに、司法解剖を信じられないほど多件数実施している医師(監察医として開業している)と、それを推奨するような発言をした警察庁刑事局長(前述)。刑事局長の発言によってこの医師がお墨付きを得た、という発言をしているのには驚きました。

第7章 早川秀幸・筑波メディカルセンター病院剖検センター長 早川氏は、死後画像=Ai(Autopsy imaging)を実施しています。裁判員裁判でマクロ画像を使用するのはリアルすぎるので、Ai画像を使うという発想です。

年間約17万人の異状死――高齢化が進む日本では、孤独死など病院外で死ぬ「異状死」が増え続けています。そのうち死因を正確に解明できているのは一部に過ぎず、犯罪による死も見逃されかねないのが実情です。なぜ、死ぬ状況や場所・地域によって死者の扱いが異なるのか。コロナ禍でより混迷を深める死の現場を、赤裸々な証言で浮き彫りにしてくれる一冊です。

医師も他人事ではない…
医療事故裁判のリアル

警察主導の死因究明で起こる犯罪の見逃しと冤罪ですが、われわれ医師にとって他人事でないのは医療関連死における臨床医の責任追及です。そこで読んでおきたいのが2冊目の吉田謙一著「法医学者の使命 『人の死を生かす』ために」です。

著者は、法医学の大学教授を退官して大阪の監察医務監になった1953年生まれの法医学者です。前半はよくある法医学OBモノという感じだったのですが、後半の「医療事故と刑事裁判」「どうすれば、冤罪を防止できるか」で取り上げられる医療事故裁判のケースレポートがとてもリアルで、「他人事ではない」と読みふけることになりました。

医療事故と法医学の微妙な関係を含めて、結構濃厚な世界を知ることができました。医療に携わるものであれば、第3章と第4章だけでも読むことを強くお勧めします。

医療事故をとりまく登場人物、警察・検察・裁判官、さらに法医学者・病理学者・関わった臨床医・関わらないのに安易に証人になる医師たち…そこで繰り広げられる、公平な目からみた真相解明とは程遠い法廷闘争。これはひどいです。これでは冤罪が起こるよね…と思わざるを得ないです。

本書のケースレポートの中から、いくつか紹介します。

(1)1955年の東大ルンバール事件 医療で障害を残した被害者と家族に補償するため、裁判官が医師のミスであるとする科学的根拠なき因果関係(ルンバールと脳出血)の認定という、変な論理がまかり通るようになってしまいました。

著者曰く、「東大ルンバール事件判決が示す法律家の法的判断至上主義と科学軽視の意識が、多くの裁判で私が感じてきた裁判官や検察官の科学的根拠軽視の根底にあると感じる(P125)」。「被害者がいるなら加害者がいるはず」という考え方を医療の不確実性にあてはめることの愚ですね。

(2)2004年の福島県立大野病院事件 この事件は医師が逮捕されたという衝撃もあって注目されましたが、ここでも「検察・警察が医師を逮捕・起訴した背景には、医療事故発生後、病院が保険を使って遺族に補償をするには医師の過失と患者死亡との間の“因果関係”を認めなければならないという事情に基づいて作製された事故調査報告書があった(P137)」とあります。…これも医師側には怖い話です。

ただし、こちらは弁護団のがんばりで、「安福弁護士を中心とする弁護団のメンバーは、病理医Cの説明を丁寧に聴き、多くの産科医に手術の場面を再現してもらいながら疑問をぶつけて勉強し、議論を重ねたという。その理解に基づいて、決定的な科学的根拠となる事実を複数見つけ、法廷で、被告人、弁護側・検察側証人、検察官に対して、『真実の曝露』と『無知の曝露』を促す弁論を展開したことが功を奏した。(P140)」…となりました。

また、「検察側の病理医Bは、癒着胎盤の診断経験が乏しいうえ、担当医の見解や子宮の肉眼所見を参照しなかった。(P140)」の記述には、なんともお粗末な病理医の参考人、としか言えません。

さらに、病理解剖が多くの場合臨床医の立ち合いのもと行われるのに対し、司法解剖では医療専門家の意見を聞くシステムがなく、臨床医との連絡が法的制限を受けているというのも驚きの事実でした。

(3)1999年の杏林大学医学部付属病院割りばし事件 検察側はすべての証拠を開示する義務はなく、自分たちに不利な陳述は証拠として採用しません。その証拠を検察側しか知らなければ、握りつぶされることになるのです。

「(無罪にはなったものの)検察官が、解剖所見・診療経過に関する十分な情報を提供した上で解剖執刀医である村井教授や第三者専門家に予断なき意見を聴取する、といったことをせずに、村井鑑定と異なる自らの「見立て」に従って事件を処理しようとしたことが、誤った起訴から刑事裁判の混乱を招いた根本原因であることがわかる。」

「(中略)司法解剖の情報や鑑定書、刑事捜査の過程の情報が関係者に開示されず、第三者専門家の評価・チェックを受けないまま、専門的な知識の乏しい検察官が自らの見立てに沿って捜査を進め、起訴できることが、本件に限らず冤罪事件全般の背景にある。この刑事司法システムを変えない限り、冤罪はなくならない。(P158)」このように、結局は見込み捜査問題に至ります。

これらの事例の裁判経過を法医学者の解説で読めるなんてめったにないことなので、読みごたえ十分の一冊です。死因究明制度の不備なんて自分にはあまり関係ないと思っていましたが、医療上の刑事裁判は他人事ではないと実感してしまいました。

日本の解剖を担う主体が、
ここ数十年で大きく変化

3冊目は榎木英介著「病理医が明かす死因のホント」。著者は1971年生まれの病理医です。病理医が死因究明にどれだけからんでいるのだろうと思い読んでみましたが、少々あてが外れた感じでした。なぜなら、病理医の病理解剖数は激減しているからです。

それぞれの学会のウェブサイトで調べると、2021年時点で日本病理学会の正会員数は2,844人、これに対して日本法医学会の正会員数は1,202人となっています。そして本書にあるように、病理医が行う病理解剖数は1985年には40,247件であったものが、2017年には11,809件と急速に減少しています。一方、2017年の法医学的な解剖数は、司法解剖8,157、調査法解剖2,844、行政解剖9,852で計20,853件です。

法医学的解剖の件数が、すでに病理解剖数の約2倍になっているという事実には驚きました。単純に学会会員数で除してみても、病理医の年間解剖数は一人当たり4.2件、法医学医は17.3件であり、日本の解剖の主体が法医学医に移ってきているということがわかります。

病理医がネットや書籍で情報発信しているものを目にする機会は多いものの、やはり「生体の病理診断」や「実験病理」の話がほとんどのようです。一方で、2冊目に紹介した「法医学者の使命」の裁判事例でもわかるように、医療事故の裁判で病理医が原告側・被告側どちらでも参考人として意見を述べていることが多いのは、病理医=死因究明のプロという間違った認識があるからではないでしょうか。

まとめと次のシーズンにむけて

調査報道のライター、法医学の専門家、病理医と、いろいろな立場から書かれた3冊を読むことで、日本の死因究明制度の状況を見てきました。

問題の根本にあるのは、死因究明が医師ではなく警察の主導で行われているということです。もっとも、医師側が異状死体の死因究明にあまり関わりたくないということもあるでしょう。

一方で、医療過誤死とされた事件の実例を見れば、死因究明における警察・検察の専横が、医師の冤罪を生み出しやすい構造にもなっていることもまた事実です。それを考えると、われわれ臨床医にとっても、日本の現行の死因究明制度の抱える問題点は他人事ではないのです。

さて、毎月テーマごとに3冊の本を紹介してきた「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」シリーズ、ファースト・シーズンの「私の本棚」から引き続きコロナ禍の中での連載となりましたが、編集部の丁寧なサポートのおかげもあり、なんとか1年間12回のセカンド・シーズンを終えることができました。

ここでしばしの充電期間をいただき、2022年の秋からサード・シーズンとして再開を目指し準備したいと思います。ご期待ください。長らくのご愛読、ありがとうございました。