El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

続・私の本棚 (11)医師の直感はなぜ誤る?

還暦過ぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのセカンドシーズン「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学」です。

今回のテーマは、医療の分野でもよくある「なぜ直感でくだした判断は間違えるのか」を「行動経済学」や「認知バイアス」というキーワードから読み解きます。(ちなみにファースト・シーズン「私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」はこちら

医学的に判断をしなくてはならない場面では、不確実な情報、つまりグレーなものを根拠に白か黒かの判断をしなければならないことが多々あります。多くの場合、自分の持っている知識や過去の経験から直感的に判断せざるを得ないことがほとんどでしょう。

ところが、こうした直感的な判断(ヒューリスティックといいます)というのが意外に間違っていることがあるんです。

医師もおもわずドキリ、医学的な
「間違いやすさ」について言及された一冊

「行動経済学」というキーワードには経済という言葉が入ってはいますが、本質は人間の判断にからむ心理学=「認知心理学」と考えたほうがいいでしょう。経済学では人間を「経済合理的な判断をする存在」として扱ってきたわけですが、それは買いかぶりで、人は直感的な判断で不合理をおかしてしまいやすいのです。

今回の1冊目は、行動経済学の発展史をたどるマイケル・ルイスの「かくて行動経済学は生まれり」です。ご存じのようにマイケル・ルイスはハリウッド映画にもなった「マネー・ボール」の原作者。「マネー・ボール」は、大リーグの選手発掘に統計手法を導入し、貧乏チームを強豪に一変させるというドキュメンタリーでした。

ところが「マネー・ボール」を読んだ行動経済学者から「この作家(ルイス)は、野球をよく知るスカウトたちがなぜ選手の能力を見誤るのか、そこにもっと深い理由があるのをわかっていない」と批判されたことがあり、そのことが本書執筆のきっかけになりました。

その行動経済学者によれば、いわゆるプロの勘というものがいかに誤りをおかしやすいかはすでに行動経済学で解明されているというのです。

そんな人間の間違いやすさの研究を創始したのが、イスラエル人のカーネマンとトベルスキー。彼らの研究は特に経済行動の分野で発展したこともあり、2002年にノーベル経済学賞を受賞しています。

本書はカーネマンとトベルスキーのライフ・ヒストリーをたどりながら、そうした“人間の間違いやすさ”について解明していくという構成になっています。医学的判断にも1章があてられていて、自分自身における過去の判断の場面を思い出しては、どきっとするようなことばかり。

例えば、ある意見を持つとその意見を支持する証拠だけが目に入る「確証バイアス」、似ているからといって安心する「代表性ヒューリスティック」、手近なものや見慣れたものを無条件で信じる「利用可能性ヒューリスティック」、さらには「妥当性の錯覚」に「アンカリング」などなど…ああ、そんな間違い確かにあったなあと思うことばかりです。

恐ろしいのは、ネット時代の今、この間違いやすさを利用して、フェイク・ニュースやネット広告が我々に誤判断させるよう誘導しようとしていること。我々の直感は行動経済学的手法であやつられてもいるのです。あなたもネット通販で「なんでこんなもの買ってしまったのか?」ということありませんか。そんなあなたも行動経済学に誘導されているわけですね。

バイアスだらけの医療現場
――正しい意思決定に導くには?

「人間の意思決定には、合理的な意思決定から系統的に逸脱する傾向、すなわちバイアスが存在する」と行動経済学の本質を学んだところで、それを医療の現場にあてはめたのが2冊目「医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者」です。

医療現場の意思決定ではインフォームドコンセント(説明と合意)という手法が一般的にとられていますが、バイアスだらけの医師と患者の間で情報をやり取りする中で合理的な判断ができるのでしょうか。本書の執筆チームは行動経済学的分析によって、医療のさまざまな局面で発生している意思決定のバイアスを紹介してくれています。

わかりやすい例としては「長期間治療を続けてきたのだから、いまさら別の治療に変更したくないという患者」。これに関係しているのは、今までかけてきたコストがふいになるのではないかという懸念(サンクコストバイアス)や、現状からの変更を損失とみなしてしまう現状維持バイアスです。

あるいは、「がんが消えたという広告」のような科学的根拠が乏しくても身近で目立ち、自分に有利と思える情報を優先して意思決定に反映させる「利用可能性ヒューステリック」もあります。「術後の生存率は90%」と「術後の死亡率10%」を比較したときに、損失が発生する側の数字(死亡率)の方を過大に感じてしまう心理(確実性効果)などなど。

他にも患者や家族の意思決定の実例として「がん検診の受診率向上」「子宮頸がんワクチン」「臓器提供」がとりあげられ、さらに医療者側の実例として「延命治療の中止」「急性期」「医師の間、特に男性医師と女性医師のちがい」「他人を思いやりすぎる看護師」など。確かにバイアスだらけなんです。

そして、ではどうやってより正しい意思決定に導けばいいのかという解決編として挙げられているのが「リバタリアン・パターナリズム」という考え方。

がん検診を例にとると「受けたくない人に受けることを強制することはしないが、受けてもいいと思っている人には受けることをそっと(潜在的に)後押しするような方策をとる」こと。どっちでもいいや…と思っている人がなんとなく正しい意思決定をするような小さなネタ、例えばメールでのアラートやポイント付与などを使うのです。

こうしたことをナッジ(肘でちょっと押す…という意味)するとも呼ぶらしいです。医療者側が自分自身にも患者にもこうしたバイアスが存在することを認識できれば、患者への説明・提案の仕方を工夫しナッジを利かせることで、適切な医療に誘導できるというわけです。

うーん、かなり高等なテクニックという感じもしますが、試す価値はありそうです。

「認知バイアス」だけじゃない、
「認知バイアス」バイアスも存在する

ここまで紹介した2冊は、認知バイアスがもたらす不利益をどう避けるかという観点から書かれたものでした。

ところが3冊目の「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」の後半で提言されるのは「認知バイアス」バイアス。つまり、「認知バイアスの存在は困ったこと」「認知バイアスをさけるにはどうしたらいいか」と考えること自体がバイアスなんじゃないのかということです。

人間の判断が直感的であるのは、進化の過程でそれが必要だったからと考えるわけです。たとえば、草原でチーターに襲われるような予想もつかない危機を切り抜けるという状況を考えれば、思慮深いよりもむしろ即応的であるべきで、事前準備などできない状況でともかくその場で対応できることが重要だったはず。

新しい事態に遭遇したとき、とにかく手持ちのもので解決する力――フランスの人類学者レヴィ=ストロースは「野生の思考」の中でそれを“ブリコラージュ”と名付けています。人間の認知は本質的にブリコラージュなものだというのです。

文明化して言語が高度化し、また農業や産業の発達により複雑化した社会の方が、直感で即応できないもの(=認知バイアスの存在を意識しないといけないもの)になってしまった、つまり本来の認知能力と人間を取り巻く現代社会との間のズレが「認知バイアス」と呼ばれるものを生み出しているというわけです。

インターネットやスマートフォンの時代を生きるわれわれは、本来持つブリコラージュな直感的判断力を活かしつつ、さらに直感的判断が陥りやすい認知バイアスをも意識して細かい軌道修正を加えることでやっていくしかない、言い換えればそうした軌道修正の必要性を常に念頭において判断していくという姿勢が必要なのでしょう。

まとめと次回予告

医療の現場では、医療者も患者も日々さまざまな判断をしていかなければなりません。

「行動経済学」や「認知バイアス」を学べば、判断すると同時に「この判断には認知バイアスが関わっているかも」と一度は自分を疑ってかかることを習慣づけることができるようになります。

そのワンクッションがあれば、そこで診療ガイドラインを参照するなど自分の判断に修正を加えるゆとりも生まれるでしょう。そしてその繰り返しが正しい判断への道につながるのではないでしょうか。自分の中にある認知バイアスのコントロール、大切です。

さて次回は「死因究明」をキーワードに、「死体格差 異状死17万人の衝撃」、「法医学者の使命」、「病理医が明かす 死因のホント」の3冊を取り上げます。

ジャーナリスト・法医学者・病理医、それぞれの立場で書かれた「死因究明」の実態はいかに。次回もご期待ください。