El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

コンビニ人間(Audible)

結局、誰もが〇〇人間

Audibleで聴きました。Amazon Audibleが定額聴き放題になったのでサブスクを再開。最初の一冊は2016年 第155回芥川賞作品「コンビニ人間」。大久保佳代子の朗読で3時間43分。ウォーキングしながら聴いていたのだが、面白すぎてあっという間に完聴。

コンビニのバイトというパーツ(部品)になることでしか社会とつながれない女性が主人公。最初は彼女のいわゆる「コミュ障」「発達障害」的な部分が強調されるのだが、だんだんと何が普通なのかがわからなくなり、気が付くとある職業に従事することで社会とつながるということは結局みんなパーツになることなのではないか、自由な職業選択なんていいながら結局職業や企業を構成するパーツになることで経済的・心理的安寧を得ているのではないか・・・と思い始めている自分がいる。

「A:コンビニのパーツになる」か「B:世間並の暮らしのパーツになる」かが対置されて、主人公はAからBを目指すが結局Aにもどる。読者はそれで逆にほっとする。

結局、自由意志と思って働いているわれらも実は〇〇人間(〇〇に会社名や職業名を入れる)にすぎない。著者は、〇〇にコンビニを入れることで、そういう人間の不条理部分をクリアに浮かび上がらせた。カフカや安部公房の現代版ともいえるが、特殊な設定ではなく、コンビニを舞台にすることでも不条理を描けたのは驚き。