El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私が進化生物学者になった理由

ただの自伝ではない、人間も含めた進化生物学の入門書としても秀逸

紀伊田辺の自然の中で育ち、ドリトル先生(井伏鱒二訳をべたほめ。確かに、ドライで直線的な文体は似ていて、読みやすい)と、博物学に目覚め、東大理学部に入ってからはローレンツ「ソロモンの指環」、そしてドーキンス「利己的な遺伝子」と書物に影響を受けながら、アフリカでのフィールドワークもこなし、進化生物学者になっていく。

著者の人生と歩を合わせるように進化生物学も「群淘汰」から「遺伝子淘汰」へとパラダイムシフト、著者はさまざまな偶然と進取の気性で新しいパラダイムを自分のものにしていく。そして、ケンブリッジへの留学、イエールでの講師など経験を重ねながら「性淘汰」への方向性を見出す。

しかし、現実的には女性としての壁があるのか、テーマを追い続けることを仕事することはできず、文系の大学で教養としての進化生物学を文系の学生に教える時間も長かった。そういう時期でもめげずに、理系と文系の違いを認識しつつ、それを糧にして仕事できてきたのは聡明さゆえだろう。また、夫が自分の研究室をもつ学者で、夫婦の協業が著者が進化生物学を続けていく大きな助けになったようだ。

話はここで終わらず、最後の三分の一は、人間を対象とした進化生物学の方向性をさぐる、四枚のカード問題からの互恵的利他行動の分析などはこれまでの認知バイアスの本でも見たことがなかった。そして動物の世界での性差(≒性淘汰)を考え、そこから人間におけるセックスとジェンダーに踏むこんでいく。精子と卵子の成り立ちと違いから雄と雌の戦略がことなる、そういう根本部分から性淘汰・性差が語られて、腑に落ちる。また、文明化が性差とからんでどう変化して性淘汰圧をかけていくのか。まさに今、著者が考えているようなところまで進んでいく。

女性の理系研究者の一代記?と思って読み始めたが、人間も含めた進化生物学の入門書としても秀逸な一冊だった。進化生物学が好きな人、「利己的な遺伝子」のファン、みんな読んで欲しい。