El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(99)―創薬もスリリングだ!―

遠藤章先生にノーベル賞を!

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています、査定歴24年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「創薬」。新しい薬を創り出すということですね。日本が世界に誇る創薬はいくつかあるのですが、まさに「世界で一番売れている薬」であるコレステロールを下げる薬、スタチン(メバロチンやビタバスタチンの一般名)も日本人、遠藤章先生が50年も前に創り出したものです。遠藤先生のライフヒストリー、そしてスタチンが世に出る(メバロチンの発売は1989年)までの紆余曲折は、まさにサスペンス小説のようにスリリングです。

それを活写する山内喜美子さんの「世界で一番売れている薬」、オリジナルは2007年の刊行ですが、2018年に新書になりました。今読んでも、研究者や臨床医などすべての登場人物のリアリティにぐいぐい引き込まれ一気に読んでしまいます。

四つのストーリーが交錯します。一つ目は、秋田の田舎から苦学して東北大農学部にすすみ三共に入社して研究人生を歩む遠藤先生の物語。留学先のアメリカで研究ターゲットをコレステロールにさだめたものの帰国した日本ではまだまだそういう時代ではなかった。それでも、ひとと違ったものをやりたいと研究を続け、コレステロール合成に必要なHMG-CoA阻害作用をもつ物質を青カビから抽出しML-236として特許を取得(1973)します。

二つ目は、三共(に限りませんが)の研究体制の問題。年功序列や部門間の軋轢など日本的な組織が新薬開発にブレーキをかけます。まあ、このあたりは、日本人ならわかる、仲間内の足の引っ張り合いですね。

三つ目は、海外のライバル製薬会社や研究者、そして彼らの特許戦略の巧みさ。そのため、開発者である遠藤先生を擁し、ML-236の特許にを持つにも関わらず、治療薬の特許を独占することができませんでした。特許における先願主義国と先発明主義国の違いなど、当時は日本の企業も理解できていなかったようです。

四つ目は、薬害問題などで新薬開発にビビり、臨床治験もままならない日本で、目の前で苦しむ家族性高コレステロール血症の患者のために、リスクをおかしてスタチンを使い続け成果を出すことで社会の流れを変えた臨床医(金沢大学の馬淵先生や大阪大学の山本章先生)達の物語。結局、彼らがNEJMなどに発表した臨床論文が世界を動かします。

四つの物語が錯綜しながら、製剤としてのメバロチンが発売されたのは1989年、ML-236の特許から16年もかかってしまい、すでに遠藤先生は東京農工大に移籍していました。メバロチンで三共は莫大な利益をあげましたが、逃した利益も大きかったでしょう。まあ、スタチンは日本初のブロックバスターだったわけで、製薬会社自身もそんな創薬が日本でできるとも思っていなかったということもあります。

月日は流れ、国内ではすでにメバロチンの特許は切れジェネリック薬も増えてきましたが、スタチン製剤が世界中で使われていることはみなさんご存じのとおりです。だからこそ、ここに至るまでの遠藤先生をはじめとする多くの努力が紡ぎだした物語をぜひ読んでもらいたいと思います。発想から実験、推理、挫折、陰謀・・・すべての要素を丹念に書き込んだ著者もみごと。「高脂血症にとってのペニシリン」となったスタチンの物語、医学に関わる者にとって必読の一冊です。遠藤先生は毎年ノーベル賞候補に挙げられますが今年も受賞はなりませんでした。88歳になる遠藤先生の健勝を祈りたいと思います。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2021年12月)