El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私たちはどんな世界を生きているか

どんな世界を生きてきたか・・しかわからない

なるほど、ネット社会や新自由主義やGAFA、それにコロナ禍がのっかって先が見通せない今、その今に至る世界はどういう具合に形成されてきたかはよくわかる。また、日本という切り口でも近代化から現在までの流れがよくわかる。あの時のあれが今のこういう不自由や不具合の原因だと。

著者はこの200年間に革命や戦争をとおして世界・日本が築き上げてきた「解放」「自由」が、削り取られているのが今だという。しかし、まあそれは結果論なんだろうな。

今、われわれが漠然と感じる不安はそういう歴史的連続性の中に生じている不安ではないのではないか。むしろ、過去を知り分析できたとしても明日はどうなるかとんと不透明だという不安ではないか。

歴史的な流れでは説明できない突発的なできごとやイノベーションがガラリと世界を変えてしまう。そんなことを21世紀になってたくさん見てきた。だからこの先もどんな想定外も起こりうるという、そういう不安(期待でもあるかも)。若者であれば、むしろチャレンジングな未来ということかもしれない。

著者は1950年生まれの団塊世代。昭和の高度成長期に青壮年時代を生きてきて、平成から令和にかけての社会のありようにペシミスティックになるのはわかるが、「私たちはどんな世界を生きているか」なんて、普遍化するのはちょっとちがうような気がする。