El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

寿命遺伝子

シロウトには難しいし、面白くない

12の寿命に関わる遺伝子について、それぞれの研究のミニストーリーがある。線虫やショウジョウバエやマウスを使い、特定の遺伝子を欠落させて長寿化や短命化を測定し、候補遺伝子を絞り込んで、遺伝子のクローニング(配列の決定)からコードするタンパクを解明、そこから長寿分子的なメカニズムまで到達する。そういう寿命に関わる遺伝子の基礎研究の方法論が見えてくる。

線虫からage-1, daf-2, daf-16。ウェルナー症候群からwrn。特定の遺伝子を欠落させたノックアウトマウスの研究からigflr, rest。時計遺伝子研究からclk-1。ショウジョウバエ研究から酸化ストレスと関わるShc, methusela。酵母からは欠落させると短命になる sir-2そこから進んで、いわゆるカロリー制限で寿命が延びるというサーチュイン遺伝子。その代謝上の下流にあるのが tor。さらにampk・・と、都合12の寿命遺伝子(イタリックで表示)。

それぞれの研究には競争があり、ノーベル賞が出たりと、この分野も結構研究が盛んなんだなと感じる。しかし、一般人にとってはどれも似たり寄ったりの話でいささか退屈。さらに感じるのは、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的なその手法、それからわかってきたところで生命の全体像からみればまだまだ「群盲象をなぜる」的な状態のような印象は(個人的には)否めませんね。

これまでの、人類の長寿化は主として衛生環境や栄養などの外部要因だったことを考えると、寿命とはもっと社会的な要素の方が強いのではないかと感じられる。

そうなると、ここに挙げられた12の遺伝子やそれが作るタンパクを研究する意義はどこまであるのだろうか。メカニズムの解明という意義はあるだろうが、それがわかったからと言って、ヒトの寿命がこれ以上伸びるのだろうか、いや伸びてどうする?

進化論的には長寿が求められているのか。長寿よりも多様性のほうが求められているのであれば・・・そもそも虚しい研究なのでは、なんて気持ちでは研究はできないことはよくわかりますが。

結局、長寿研究のうさんくささっていうのは遺伝子レベルになっても消えないのだ。それは、本能的に寿命を科学でいじることへの忌避感があるからなのかもしれない。