El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ジェネリック それは新薬と同じなのか

 一冊でわかる現代薬剤の政治経済史

20世紀になるくらいから化学・工学の発達によって工業的に合成された薬剤が治療薬として使われるようになった。薬剤は化合物としての構造名と一般名と商標名があるのだが、最初から命名ルールがあるわけもなく、例えばバイエル社の解熱鎮痛剤のアセチルサリチル酸(一般名)はアスピリンという商標名で呼ばれるようになり、いつのまにかアスピリンが一般名になる・・・というような曖昧さがあった。

薬物治療が世界に広まっていく20世紀半ばくらいから曖昧さを排除するための国際的な取り決めを作ろうという動きもあったが、薬剤メーカーの利益など複雑にからんでまとまらない。

1960年代に入るとそうした薬剤の特許が切れる時代が到来する。そうすると一般名は同じだが先発薬(ブランド薬)とは違う商標名のジェネリック薬が登場する。ジェネリック=一般名。ジェネリック薬は主成分はブランド薬と同じだが剤型や固めるための基材などはバラバラで価格は開発コストがかからない分安い。

ジェネリック薬が登場したころはブランド薬との同等性について議論があり、ブランド薬企業は当然、同等性の無さを証明しようとし、ジェネリック薬企業は同等性を証明しようとし、双方さまざまなロビー活動ありフェイクありの時代。また当時はマフィアも絡んだ偽造薬もあったのでそれもからめたアンチジェネリック・キャンペーンも数々あった。

また1960年当時は商標名の医師処方を薬剤師が一般名に読み替えてジェネリック薬を出すことが違法でもあった。これは1970年代には合法になり1980年代以降はむしろ推奨されているという歴史の流れ。

大きな節目になったのはレーガノミクスの時代1984年の「ハッチーワクスマン法」(薬価競争及び特許期間回復法)。これは、ジェネリック企業には簡略申請でジェネリック医薬品の市場を拡大する道をひらくと同時に、先発薬企業には特許期間延長によって新薬市場を保護しようというもの。先発品企業と後発品企業それぞれに利益を与えてバランスを取り、全体として米国の医薬品産業の発展を促進しようとするものであった。

このハッチ・ワックスマン法以来、ジェネリック医薬品の承認に必須要件であった治験データが不要となったので、1984年以後ジェネリックメーカーは莫大な治験経費を投ずることなくジェネリック医薬品を安価で市場に送りだすことができるようになった。このジェネリック医薬品の簡略承認方式が、日本を含めこの後の世界標準となる。

そして20世紀末からは薬剤給付管理(Pharmacy Benefit Management 、PBM)機関が登場。これは医療機関・保険会社という薬剤消費サイドと製薬業界の間にたってジェネリック薬の価格交渉などを通して薬剤価格の最適化をはかる(もちろん手数料を取る)というもので次第に大きな勢力となりつつある。

21世紀になりジェネリック製薬会社もグローバル化してブラジル・インドと軸足を移すと、品質管理や公的規制の違いもあって再び薬剤としての「同等性の危機」の時代に。そうはいってもHIVHCVなど合法・非合法あわせてインドの薬剤が途上国の医療にとっては欠かせないものになってくる。

ジェネリック薬企業のビジネスモデルは先発薬の特許切れのタイミングでジェネリック薬を出すことだったが、20世紀末の多くの低分子の薬剤特許は2015年頃には切れたため、いわゆるジェネリック・バブルは終わるという見方もある。そこから時代は抗体医薬などの高分子標的薬の時代になり、これの後発薬はバイオシミラーと呼ばれるがそこにまた新たな「同等性の危機」が出現しつつ現在に至る。

多くのプレーヤーがいてわかりにくい薬剤の世界だが、ジェネリック薬を中心においた本書一冊読んでかなりわかる。ここでもレーガノミクスあなどれず。