El librero la Fontana

El librero la Fontana・ホンタナ(いずみ)氏の本棚「人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ 」(アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

若者たちのニューノーマル Z世代、コロナ禍を生きる

Z世代が社会人になる日

ゆとり世代(1987~1995生まれ)の後は「Z世代」(1996~生まれ)と呼ぶらしい。アメリカで冷戦期のX世代・冷戦崩壊~ネット時代をY世代に続くのでZ世代と呼ぶというのが語源らしい。ということはZ世代は現在の25歳くらいから下の世代ということになり、二・三年前からZ世代社会人が登場していると考えてよい。

著者の牛窪さんはNHK「所さん! 大変ですよ」などでもお見かけする、マーケティング・ライター。帯に「物語とキーワードで読み解く withコロナの消費潮流」とあるのだが、どうしてどうしてZ世代の世代論を超えてアフター・コロナの時代に向けた希望も感じさせてくれる。コロナ、コロナでげんなりする日々に明るい光を見た思い。

本の仕立ては、前半がフィクションで49歳の父親と21歳の息子が入れ替わる(「転校生」や「君の名は。」でおなじみ手法)という設定で、49歳の父親がZ世代になってみてその生態を自分ごととして体験する。父親世代とZ世代の両方の目線で世の中を見るという疑似体験なのだがこれがなかなかわかりやすい。

Z世代と切っても切り離せないのがスマホ・ネイティブであり、SNSネイティブであるということ。ネットやスマホが物心ついたときからある。たぶん、中年以降にそれらに触れた自分たちとは違うメンタリティを持っているんだろうけど想像することもできないな・・・と思っていた。ところが、このフィクションでわたしもZ世代の末っ子の彼の感覚を疑似体験でた。

本書の後半は前半のフィクションにできたキーワードをデータやグラフを使って丁寧に解説してくれる。「エモい」「チルる」という話し言葉だけでなく「スタディ・サプリ」や「フェス」といった用語もよくわかった。

それらをふまえて、問題提起されているのはいわゆる就職活動、つまり日本型の就活がはらむ数々の問題点。社会の変容で一括大量採用の終身雇用という制度が行き詰っているの確かにそうで、その最前線にいるのがZ世代なのだ。その行き詰まり感を大いに増幅しているのがコロナ禍。自分の目指してきた職業の先行きが一気に不透明化しつつあるのに、一括大量採用に乗り遅れてはいけないというダブル・バインドはかなりきついことは想像に難くない。

「おわりに」がコロナ禍とのからみで秀逸なので引用する

―――「いま社会で求められていることは、まさにZ世代が、コロナ前から求めてきたことだ!」それが、コロナ禍の20年3月、若者たちの取材を始めて、真っ先に感じたことでした。

サステナブルな視点で地元や自然、地球環境に配慮する。富よりも「人間らしい生き方」を追い求め、自分や家族、周りの友人・知人の健康と幸せを願う。あるいは、経過より結果を意識しながら生き、働く。業務や健康管理を数値で「見える化」し、中長期的なコスパを実現しようとする。動画やSNS、オンラインを効率的に使いこなし、いつでもどこでも誰とでも、既存の枠を超えてグローバルにつながれる環境を創りあげる・・・・・。

私たち上の世代も含めて、おそらくほとんどの人が「いつか、そうした社会を実現すべきだ」と、頭のどこかで感じていたはずです。

また、コロナ禍ですっかり一般化した、テレワークや副業解禁、人材シェアリング、ジョブ型雇用なども、以前から「本腰を入れて、取り組まないと」と、繰り返し求めれてきたことでした。(中略)にもかかわらず、私も含め大人たちは「まだもう少し、先のこと」だと思っていました。

Z世代が、これほど身近で「もう時代は変わったんです」「僕たちが人間らしい生き方を標榜するのは、決して『小さくまとまっているから』でも、『欲がなさすぎるから』でもないんですよ」と、ニューノーマルな価値観を発信し続けていたにもかかわらず、です。(引用終わり)―――

コロナによる緊急事態が終わったら、まるで何もなかったかのようにもとの社会にはもどるのだろうか、それともコロナであぶりだされた旧社会の矛盾が大きく解消される方向に動くのだろうか。経済界は通勤や転勤や出張などの莫大な経費が「大いなる無駄」だったことに気づいているだろう、テレワークはコロナ後もなくなることはないだろう。我々中高年者もZ世代とともに新世代のニューノーマルを模索すべき、いやそうせざるを得ないのだ。