El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ドクター・ホンタナの薬剤師の本棚(8)

日本でも広がる?オピオイド鎮痛薬

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オピオイド系鎮痛薬の今

薬剤師のみなさん、こんにちは! ドクター・ホンタナの続・薬剤師の本棚、今回の話題は「オピオイド系鎮痛薬」。つまり「麻薬」を医療用鎮痛薬として利用することについてです。麻薬と書いてしまうと別の世界の出来事のようにも感じますよね。
例えばハリウッド映画でコロンビアやメキシコ経由でマフィアや麻薬カルテルが暗躍して・・・というストーリーが定番でもあります。
もちろんアメリカ一般市民とっても麻薬は別の世界の出来事でした。それが1996年にオキシコンチンが処方薬とした発売されたことで、21世紀版の新しい麻薬汚染が国中に広がったのです。

「DOPE SICK」が描く「オキシコンチン」による麻薬汚染

オキシコンチンによるアメリカの麻薬汚染の現状を「DOPE SICK 」という本で読み解いてみましょう。タイトルの「DOPE SICK」とは禁断症状という意味です。

オキシコンチン(一般名オキシコドン)はアヘン系アルカロイドでまさに麻薬です。ところが1990年頃から医療界にあった「痛みに対する治療をもっときちんとやろう!」という機運に合わせるように、溶けにくい基材で固めてゆっくりとしか吸収されないという工夫を施したオキシコンチンが鎮痛薬として認可・発売されました。

薬を発売した薬品会社、パデュー・ファーマ社はそれまでも麻薬系の鎮痛薬(MSコンチンは日本でもおなじみです)が得意分野。これまで麻薬系の鎮痛剤は依存性の問題から投与対象はがんの末期患者などに限定されていましたが、パデュー・ファーマ社はオキシコドンを徐放錠とすることで依存性をなくしたというデータを根拠に(そのデータはかなりいい加減なものであったことは裁判などで明らかになりました)効能追加の認可申請を行いました。ロビーストなど政治的駆け引きもあったのでしょうが、ついには麻薬が普通の鎮痛剤として処方されるという事態が21世紀を迎えようとするアメリカで起こりました。手術後の痛みや整形外科的な痛みにオキシコンチンが日常的に投与されるようになったのです。

パデュー・ファーマ社はオキシコンチンを処方してくれる医師に接待攻勢をかけ、医師や歯科医師によりオキシコンチンが大量に処方されたのです。最近の出来事とは思えない、いやこれがまさに今のアメリカなのかも・・。当然2010年頃から過剰摂取死や依存症が大問題になり大きな裁判がいくつも争われ、多額の和解金・賠償金がニュースになることも増えてきましたが、オキシコンチンであげた収益に比べれば和解金・賠償金は微々たるものらしいです。

歌手のプリンスや大谷翔平の同僚のピッチャーが急死したのもオキシコンチンの過剰摂取と言われています。日本でもトヨタ初の外国人取締役として赴任してきた女性がオキシコンチンを持ち込もうとして警視庁に逮捕されるという事件がありました。オキシコンチンが家庭の常備薬のようになっているというアメリカのすごい状況がその背景にあるわけです。

アメリカの若者のライフ・スタイルを変えた処方薬

「DOPE SICK」197ページによれば、「若者たちは、朝一番でアデロール(ADHDの薬で精神刺激作用あり)を飲み、午後にはスポーツによる怪我の痛み用にオピオイドオキシコンチン)を飲み、夜には眠るのは助けるためにザナックス(ベンゾ系睡眠導入剤)を、何の躊躇もなく服用していた。その多くは医師によって処方された薬だった。」・・どうですか、そんなアメリカの大学生の一日。こんなことが21世紀になってのアメリカで現実問題として起こっていたのです。

 

依存性薬剤と戦争

薬物の適法性の判断は時代によって大きく変わってきました。特に戦争においては薬剤の作用が戦争遂行の上で有用だと判断された例もたくさんあります。

日本では違法ドラッグと言えば覚せい剤をまず考えます。芸能人が検挙されることもまれではありません。この覚せい剤・メタアンフェタミン1893年に日本人長井長義が合成し1919年にこれまた日本人緒方章が結晶化に成功)が太平洋戦争中の特攻隊で使われていたという話はよく聞きます。また、勤労動員の工場などでも眠気を吹き飛ばして作業効率を上げる薬として、ごく一般的に使われていました。

さらに戦時中に覚せい剤を徹底的に使ったのがナチス・ドイツでした。あの電撃的なポーランド・ベルギー・フランスへの驚くべき進攻のスピードは、兵士に大量投与された覚せい剤によるものだった、という歴史を掘り起こすのが今日の2冊目「ヒトラーとドラッグ 」です。

この本によれば、ヒトラーは兵隊を覚せい剤漬けにする一方で、自身は戦況の悪化とともに主治医モレルに投与されるオキシコドン依存症になっていきます。軍首脳部もほとんどがジャンキー状態。ヒトラー暗殺未遂事件後にはここにコカインまでも加わります。こうして、上層部はジャンキーの集団となり安全な地下壕みたいとところから無茶苦茶な指示を乱発し、兵士は戦場で覚せい剤漬けにされ独ソ戦の頃にはダメダメな状態になっていきました。最後にベルリンに籠った頃にはヒトラー用のドラッグも底をつき、彼は激しい離脱症状の中で自殺します。あまりにも戦況の変化と薬物乱用がきれいにシンクロするのに驚きます。最高指導者がドラッグ依存だとしたら、だれも彼へのドラッグ投与を拒めない。世界史的な出来事がドラッグで突き動かされ得るという恐怖がそこにありますね。当時の日本の軍中枢にこんなことがあったとは聞きませんが、本土決戦前に証拠が消されたのかもしれませんね。 ベトナムやアフガンでも薬物汚染は問題になりました。戦争という目的のために麻薬や覚せい剤の利用が正当化される、そんな歴史は繰り返されています。

アメリカのオキシコンチンでは医療のためという目的が処方の正当化に使われましたが、依存性の強さは、あっという間に依存症患者の蔓延という事態を産み出しました。

まとめ

オキシコンチン依存症のことを知ってからは芸能人の急死のニュースを聞くと「過剰摂取じゃないの?」と疑ってみたりもしましたが日本ではオキシコンチンが「がん以外」に使わるという話は聞いたことがないので、私の取り越し苦労にすぎないと思っていました。

ところがつい最近、2020年10月29日にオキシコンチンTR(徐放錠)に「がん以外の慢性疼痛」の適応追加が承認されたことを知り驚きました。

https://www.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T201102S0020.pdf 

日本の医療者を信頼して・・ということなのでしょうが、「DOPE SICK」を読んだ後では、まさにアメリカの後追いをしているよう思えて心配です。今のアメリカは明日の日本かもしれない。

通達や効能書によれば、依存・不正使用がおこらないように次のことが求められています。

  • 医師が慢性疼痛患者にオキシコンチンTRを処方するにあたり、製造販売業者が提供するeラーニングを受講し、受講修了すると確認書が発行される。
  • 処方時に医師、患者ともに確認書に署名し確認書の一方を医療機関が保管し、もう一方を患者に交付する。
  • 薬剤師は患者から麻薬処方箋とともに確認書の提示を受けた上で調剤を行い、確認書の内容を説明の上、薬局で保管する。

調剤に関わる薬剤師さんも無関心ではいられませんね。この仕組みでうまくいくのかどうかは歴史が証明するのでしょうね。アメリカでは依存症が顕在化・事件化するのに10年ほどかかりました。10年後の日本が今のアメリカのような事態になっていないことを願わずにはいられません。

それでは、また次回!