El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

 仕事にレッテルを貼ることの不幸

 おそらく仕事に不満を抱えている人間はこの本を読むと「ああ、おれはブルシット・ジョブの犠牲者なんだ・・」と思うのだろう。そしてほとんどの人間は仕事に対して多少の不満を抱えているものだから、この本を読むことで自分の仕事に関する満たされない思いを「仕事そのものがブルシットなのだ」と考えれば少しはスッキリするのかもしれない。

こういう新しい造語で社会現象にレッテル貼りをするのが社会学者(著者は人類学者だったらしい・・2020年死去)の得意技。大衆はレッテル貼りに弱い。レッテル貼りに乗せられてはいけない。どんな仕事も見た目にわかる有益な部分と無意味にしか見えない部分の混合したものだ。仕事ができないと無意味な部分しか見えない。一見、ブルシット・ジョブみたいに見えるものの中から結果を出し、次第に意義のわかりやすい仕事へとステップアップしていくのではないだろうか。

レッテル貼り本の特徴としていかにもそのレッテルにピッタリの実例がたくさん描かれていること。本書でもインタビューやメールなどで多くのブルシット・ジョブ犠牲者が描かれているが、ほとんどが仕事ができないドロップ・アウターの言い訳に聞こえる。

産業構造の変化やITによる効率化で多くの仕事においてその意義が一見してわかるようなものではなくなっているのはたしかだが、それをブルシット・ジョブとレッテル貼りして資本主義の末路みたいに書くのは、そもそもがそういう進歩的左派ゆえにともいえる。

レッテル貼りは怖い、仕事ができないことをブルシット・ジョブで片付けるのは、その人自身の不幸だ。

訳者あとがき20ページを読めば本書刊行(英語版2018)後のコロナ禍との関係も含めてほぼ書いてあることは尽くされているような気がする。400ページ税込み4000円超だが、半分がインタビューではちょっと高すぎ。(2022/09/23PDF)